敦煌
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馬とロバのド迫力眼福映画。アラビアのロレンス。砂漠スペクタクル、ロストテクノロジー的なサムシング、大量の馬とロバ、もう今は撮れないだろう、エシカルな側面により。砂漠であんなに馬がいて、無茶なアクションして、一頭や二頭死んでるだろう、多分。
この映画のもう一つの着目すべき点は、中国の歴史劇を日本人キャストが日本語で演じているということ。オーセンティシティがない。それにより、ド迫力なのにずーっと、めちゃくちゃ金のかかった学芸会を見ているような白けた気分が続く。西部戦線異状なしも、ドイツの歴史劇を英語でやっているのだけど、あれはめちゃくちゃ名作とされているし、実際面白い。敦煌との差はなんなのか。単に映画が下手、ケレン味とかもっと欲しいし、転換、感情の出し方、どれもが「もっとくれ!」みたいな感想ではあるが、それだけだろうか。
オーセンティシティと言語、キャストのことで言えば、演劇とかは大体、シェイクスピアとか、日本人が日本語で演じててもめちゃくちゃ普通だし、ライオンキングでは人間がライオンを演じていて問題ないわけで映画と演劇に求められているオーセンティシティというかリアリティーライン的なものの差にも気づいて、これは興味がある気がする。
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『敦煌』(とんこう、中: Dun-Huang;英: The Silk Road)は、1988年の日本・中国合作映画。1989年の第12回日本アカデミー賞で複数受賞をした(#受賞を参照)。原作は井上靖の『敦煌 (小説)』。
製作
1974年、徳間康快が大映を買収し、社長就任の会見で「我が大映としては井上靖先生の『敦煌 (小説)』と司馬遼太郎先生の『坂の上の雲』を映画化する」と発表をした。原作が1959年から『群像』で連載されており、徳間は愛読していた。倒産した大映は劇場チェーンを失っており、生きていくためには海外マーケットを狙った大作を作らなければならないという狙いだった。徳間は10年以上かけて買い集めた日本刀コレクションの中から、最も大切にしていた一振を持ち井上を訪ね、それを土産に映画化権獲得を切り出すものの、原作の映画化権は井上の小説『闘牛』のモデル・小谷正一に渡っていた。小谷は小林正樹と製作を進め、小林が既に脚本も完成させていたものの、中華人民共和国(以下、中国)から撮影許可が全く下りず、北海道で撮る計画を立てたりし苦しんでいた。徳間と小谷の共通の友人である岡田茂 (東映) は「徳間は『敦煌』を日中合作で映画化してみせると言っている。やらせてやってくれないか」と小谷を説得し、金銭的な契約は何もなく映画化権は徳間へ移った。小林と打ち合わせを進めながら、徳間は莫大な製作費を用意するため奔走。1972年から日中映画交流に着手し、実現の機会を待った。
徳間康快は最も中国との貿易に力を入れていた丸紅へアプローチし、春名和雄に熱弁を振るって5億円の出資を引き出した。電通や松下グループなどと交渉を持ち、資金面でも映画化実現に一歩一歩近づいていった。しかし徳間と小林正樹が芸術的な部分で平行線を辿り、共通の友人である佐藤正之を間に立てて、小林を降板させる。「あれだけ『敦煌』の映画化に燃え、人生すら賭けていた小林正樹を切るとは」と徳間は批判された。
1974年4月3日、東京銀座の三笠会館で深作欣二のメガホンによる本作の製作発表が行われた。徳間・深作のほか、「石橋をたたいてもまだすぐには渡らない」とも言われた松岡功が同席したことで、「本作は本当に出来るようだ」と報道された。深作は『上海バンスキング』を監督する前に頼まれ、引き受けたと自著で述べている。敦煌へロケーションハンティングに行く途中で上海へ寄り、当地の映画撮影所と協力を構築しながら、本作へ繋げられたらと思案。軍馬の手配、夏・秋・冬の雪が大地を覆っているところを三つは撮りたいと考え、『上海バンスキング』がクランクアップした後に本作の準備にとりかかり、朱王礼に千葉真一、趙行徳に真田広之をキャスティングしていた。しかし馬が足りないことや、原作の人肉市場でウイグルの王女が人身売買する個所の歴史的事実があるかないかで徳間康快らと対立。同時期に深作は東映から3ヶ月で『火宅の人』を撮らないかというオファーを受ける。本作の準備に時間がかかると踏み、一時的に離れるが、さらにこれが徳間らと気まずくなり、雰囲気を悪化させてしまった。このまま自分が撮ると迷惑がかかると深作は思い、『未完の対局』を監督した佐藤純彌なら中国の人たちと信頼関係があるからと、本作をバトンタッチし、「自分が外れるからキャスティングも一新して構わない」と佐藤へ告げていた。降板した深作は「(ロケハン以外にも鎧の手配など)予算を使いすぎて大映へ非常に迷惑を掛けた」と述べている。
「1982年夏、全国東宝系170館で公開する」と松岡功は公言していた。同年に日本で公開された『未完の対局』は中国側が徳間康快に「一緒にやらないか」と脚本を示してきたもので、「娯楽性を考えると、これは映画になりにくい」と徳間康快は判断したが、「これをやらなくては『敦煌』への道は開かれない」と意を決し、初の日中合作を実現させた。この成功により、中国側も『敦煌』に対して理解をし始め、実現に向けて大きな可能性が生まれた。企画当初は20億円と見られていた予算は、10年間の時を経て、物価の上昇などで35億円にまでハネ上がっていた。なお中国当局によって、製作費は中間搾取され、撮影機材は日中友好の名の下に、全て接収されたという。
1985年1月か2月頃、製作の進行状況について会見が開かれ、このときも監督はまだ深作欣二だったが、「映画のクランクインを半年延期し1986年2月とし、公開時期も一年延期して1987年7月とすることになった」「中国の新経済政策により上海電影制片廠が行政機関である上海電影局と合併、新たに『上海電影制方総公司』として発足することになったことから、この新たな改革の中で、製作体制も新段階を迎え、準備に万全を期すことになった」「映画の主舞台になる敦煌、酒泉ロケハンは(1985年)3月6日の出発」「かねてより公募中のウイグルの王女役はオーデションにより(1985年)7月に決定する」等の説明があった。
敦煌
Dun-Huang
監督 佐藤純彌
脚本 佐藤純彌
吉田剛
原作 井上靖「敦煌 (小説)」
製作 武田敦
入江雄三
製作総指揮 徳間康快
ナレーター 大滝秀治
出演者
西田敏行
佐藤浩市
柄本明
田村高廣
中川安奈
三田佳子
渡瀬恒彦
音楽 佐藤勝
撮影 椎塚彰
編集 鈴木晄
製作会社 大映
電通
配給 日本の旗 東宝
アメリカ合衆国の旗 トライマーク・ピクチャーズ
公開
日本の旗 1988年6月25日
香港の旗 1988年11月16日
ハンガリーの旗 1991年12月13日
アメリカ合衆国の旗 1992年1月31日
上映時間 143分
製作国 日本の旗 日本
中華人民共和国の旗 中国
言語 日本語・中国語
興行収入 82億円
配給収入 45億円
敦煌 (映画) - Wikipedia