ディア・ハンター
ネタバレがあります
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めちゃくちゃおもしろい、すごい、忘れられない映画になりそう。序盤にみんなでCan't take my eyes off youを歌う場面が思い出されて、涙がポロポロと。まあ、友人同士でロシアンルーレットする映画なんだけど、引き金を引く瞬間、引く人から目が離せないし、引く人も正面にいる人や、カメラのこっちにいる俺たちのことを凝視しながら引く、それを「Can't take my eyes off you」と重ねるのがおしゃれで皮肉で悲しい。邦題は「君の瞳に恋してる」、原題は自分の瞳が主語なのに、邦題は君の瞳に、瞳の持ち主が逆転するの面白い、どっちも合ってる、良い曲だが、もう俺にとっては悲しい曲になっちゃった。ジョン・カザール、ゴッド・ファーザーと狼たちの午後につづき、めちゃくちゃ良い俳優だが、フィルモグラフィーを観ると4,5作品ぐらいしかない、なんと、がんを患いながら本作に出ていて、公開前に亡くなっているとのこと、RIP。 めちゃくちゃおもしろいし、地獄の黙示録と本作をみて、ベトナム戦争というものを自分は殆ど知らないなということに気づいた、興味がある。とても暗くてヌメッとした雰囲気。なにか本でも読みたい。 前半の、ベトナム戦争に行く直前のシーンで、ロバート・デ・ニーロの股間、ぼかしなしだった。暗闇だったので、はっきりとは見えないが、ともかくとして、性器ぼかしがあるかないか、そういうことが気になってしまうために俳優の股間を注視してしまう、そんな身体になってしまった自分が悲しいし、性器ぼかしという悪しき風習さえなければこんなことにはなっていないと思うので、引き続き憎い。本作は気概が(?)見えてよかった。
ロシア系アメリカ人の友情物語であり、「ペンシルヴェニア州で生活する三人の鉄鉱労働者の物語をかたる。三人の純粋さといまだ傷ついていない将来が、ヴェトナムで彼らを包む邪悪さに敗北する物語を。この三人は繊細で勇敢な男たちで、彼らが遭遇するヴェトナムは闇の奥(ハートオブダークネス)である。」 撮影は1977年6月20日に開始され、ヴェトナム戦争の場面はタイで3か月余りかけて撮影された。 当初850万ドルが予定されていた製作費は倍近くになり、スケジュールも大幅に遅れたが、EMIは何らかの切り詰めを一切要求せず、撮影に干渉しなかった。 チミノはロケハンと脚本執筆を同時に進め、現地に合わせて脚本を変更した。結果、脚本には想像上の土地ではなく、実際の土地が書き込まれた。この「現地に合わせて脚本が執筆される」という通常とは逆の過程を経たことにより、完璧に脚本に合った場所を見つけたような印象を与える。 クリストファー・ウォーケン - 彼はベトナム戦争の後遺症から心身ともに疲弊し痩せ切った青年を演じるため、1週間米とバナナと水だけを食べ続けた。
こういうのは本当に過酷だ、俳優って命かけてる。
メリル・ストリープ - 1977年、ストリープはアントン・チェーホフ作の『桜の園』の舞台に立つ。彼女の演技に目を止めたデ・ニーロの推挙によりストリープの出演が決まった。当時スタンリー役のジョン・カザールと同棲していたメリル・ストリープは、骨癌で長くは生きられない恋人と一切に過ごす時間を増やすためだけに出演を決意した。映画の撮影は1977年6月20日に始まったが、その時点で公開されている映画の中でストリープが出演している映画はまだ一本もなかった。
ドラマみたいな話。
ストリープが演じたリンダ役は当初さほど重要でない上に不明確な役柄だった。チミノはストリープにリンダ役の台詞を自ら書いてみるよう提案した。その結果リンダの人物造形が具体的に膨らまされ、最終的にストリープはオスカー最優秀助演女優賞にノミネートされた。
ジョン・カザール - カザールとストリープは1976年の舞台『尺には尺を』での共演がきっかけで知り合い、製作当時は同棲していた。撮影前に骨癌を患い余命いくばくもないことが判明、製作会社は彼に降板を催促したが、チミノやデ・ニーロ、ストリープらが「カザールが降板するなら自分も降板する」と主張したことで降板は免れた。カザールは映画の完成を待たずに1978年3月12日に死去。なお、カザールが生涯出演した5本の映画すべてがアカデミー賞にノミネートされており、そのうち本作品を含めた3本が作品賞を受賞したこととなった。
すごい
ジョン・サヴェージ - スティーブンの役は当初ロイ・シャイダーが演じる予定だった。撮影2週間前にシャイダーが降板したため、急遽サヴェージが演じることとなった。 チャック・アスペグレン - 彼は俳優ではなく、東シカゴの製鉄所の現場監督であった。デ・ニーロとチミノに見初められ、映画に出演することとなった。
ルイス・ガーフィンクルとクイン・K・レデカーが1960年代に書いた脚本『The Man Who Came to Play』が映画の元になっている。『The Man Who Came to Play』はロシアンルーレットをするためにラスベガスに向かう人々についての物語であり、プロデューサーのマイケル・ディーリーらの判断により、ベトナム戦争が舞台の背景に置き換えられた。そのため、ベトナム戦争の取材でピューリッツァー賞を受賞したジャーナリストであるピーター・アーネットから、ロシアンルーレットに関する記録はないと1979年4月26日付のニューヨーク・タイムズで指摘されている。それと同時にベトナム人の描き方が余りにも人種差別的であると猛烈に批判され、ベトナム人からも抗議を受けた。そしてベルリン国際映画祭では、共産主義の国々も映画の内容に抗議して出品を見送るなど波紋が広がった。 ベトナム視点からしたらそれは怒りますよね。
クリストファー・ウォーケンがヴェトコンに横面を打たれるくだりは、デニーロの提案でウォーケンに殴打の件を伝えずに撮影されている。ウォーケンの動揺した反応は、本物である。なお、ヴェトコンを演じたタイ人は全員職業俳優ではなかった。 おもろ。絶食といい、ウォーケンのエピソードは過酷で気の毒。
原案 マイケル・チミノ
デリック・ウォッシュバーン
製作 マイケル・チミノ
公開 アメリカ合衆国の旗 1978年12月8日
日本の旗 1979年3月17日
上映時間 183分
製作国 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
言語 英語
ロシア語
ベトナム語
フランス語
製作費 $15,000,000
興行収入 $48,979,328 アメリカ合衆国の旗カナダの旗