嫌われる勇気
もう一度読んでみている。前に読んだときは哲人と若者のやり取りの物語性ばかりを注目していた。
以前、ブログでも記事を書いてある。
アドラーの目的論は直感的じゃないな。フロイトのトラウマの概念を批判する事が先にあって、理屈を弄んでる感じがする。
アドラーは直感的じゃないよな。共同体感覚とか実存哲学はそんな感じなんだろうか? 夜と霧とかそのあたりのフランクリンとかの文章でも、勢いだけの気がした。
真理へとたどり着く方法は対話なのだろうか?
哲学書を読む事はその哲学者との対話
好きでもない奴が浅い理解で哲学を語っていると腹立つな。
嫌われる勇気は、安易に自分の課題を放棄する事ではない。自分の中にある他人からの評価を手放すのだ。
普通である事の勇気。自分は普通に生きてこんなものだ。でも、意識高い系と比べるとちゃんと地に足のついた生き方をしていると思う。
嫌われる勇気はやっぱり入門書だな。体系づけてアドラー心理学を勉強したいなら、岸見一郎の他の本を読むべきか。 意味のない自分に意味を与えられるのは自分自身
迷ってる人の指針となる輝きの星は「他者貢献」であるとあるが、本当にそうだろうか?
岸見一郎の哲学というのは若者を導くのを目標としているらしい。 この本は、アドラー心理学をそのまま書いてるというよりは、岸見一郎が勉強したギリシャ哲学とかのブレンドであるらしい。 人は感謝の言葉を聞いたとき、自らが他者に貢献できたことを知ります。
No.2594
勇気づけについて調べている。
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