明かされるべき戦略というのは、常に成功した企業が過去に行ったことだけだ。
明かされるべき戦略というのは、常に成功した企業が過去に行ったことだけだ。
未来にどうするつもりなのか、それを説明する相手は資本家だけでいい。
もちろん資本家からも情報は漏れる。というか一目散に漏れると思っていい。
彼らに説明すべきは、Appleと同じこと。つまり「いまiPhoneは売れていて、これからも売るつもりだ」ということで充分なはずだ。それができない経営者だけが、本当の戦略を語ってしまう。 2001年にSONYが音楽プレイヤーを作って音楽の電子流通を牛耳り、それを皮切りに映画やゲームソフトの流通までを支配する、と言ったら、信じる人は多かっただろうが、Appleが同じことを言っても誰も信じなかっただろう。 「君の会社の将来の戦略を説明して」
と言うと、本当に困り果てる経営者が居る。
しかも、経営者は虚勢を張るのが仕事だと思っているフシすらあるから、困り果てた、という顔をしながらも口ではなにか適当なことを言ってみせるが、何も考えていないのはバレバレだ。
逆に
「君の会社の戦略を立てて」
と言うと、本当に困り果てて無理矢理なプレゼンテーションを書いてくることもある。
たまに「どうすればいいのか本当にわからないんですよ」と逆ギレ気味に言ってくる人も居る。
当然だが、事業の発展と個人的な地位の向上(野心)は完全に切り離して考えなければならない。
優れた事業は創業者が死のうがずっと続いて行くのだし、いつまでも創業者がしがみついていてはいけない。
この、個人的な野望(妄想)と、事業の展望を混同してしまう人が多いのも、戦略という概念が正しく理解されていないことの証かも知れない。
労働者と経営者の間にいると、いつまでたっても経営者としての仕事を自覚できないことが多い。
労働は、経営に比べたら悩むことは少ないので、経営者になれる程度の実力をもった労働者にとっては、むしろ労働はラクなのだ。
労働と経営の区別をいつまでもつけられない経営者はどうやって見抜くのか。
三年も放置してみればすぐわかる。
会社の規模は大きくなっているか、従業員をちゃんと食わせているか、ボーナスは出しているか、従業員は育っているか、売上げは?利益は?借金でクビがまわらないような生活になっていないか。
これまでの人生のなかで、僕は優れた労働者が、凡庸以下の経営者に成り下がる様子を沢山見て来た。
そうした人々は労働者として卓越していたが故に、経営というより困難な仕事からの逃げ場としての労働に走ることをやめられない。