テレビからWWWへの変化だ。
from テトラッド
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テレビが増強するのは、明らかに視覚であり、芸能の価値だった。
このことが活字離れ、要は新聞や雑誌、書籍を衰退させていった。
また同時に、芸能人や文化人といった、所属する団体に関係なく、強烈な個性を持った「強い個人」としての人間に注目が集まるようになった。
普段テレビを見ている時に、そのタレントがどこの事務所なのか意識しながら見てる人はほとんどいない。
タレント本人を見てるのであって、その背景を見ているわけではないからだ。
こうした「強い個人」は個性を全面に打ち出しても、ある程度の社会規範に従っていれば受け入れられるし、時にはメディアの支配者であるはずのテレビ局とも喧嘩できるほどの強い存在になっていった。
この「強い個人」と、衰退したはずの活字文化が組み合わさったのが、ワールド・ワイド・ウェブ、いわゆるWWWである。
WWWは、従来の雑誌や新聞と違い、権威がなくても誰でも発信することができ、それがまた魅力でもあった。
WWWが発明されるまでの間、人類はインターネットを本当の意味では使いこなせていなかったと言える。
インターネット自体は、1970年代から存在していたが、普通の人が当たり前のように使うようになったのは1995年頃からだ。これにはやはりWWWの発明が大きい。
20世紀前半は聴覚メディアの時代で、20世紀後半は視覚メディアの時代であるとざっくり分けることもできる。
WWWの発明によって、人々は日常的に視覚的刺激を受けることができるようになった。新聞は読まなくてもスマートニュースは読む。ニュースさえ読まなくてもTwitterやYouTubeは見る。それが当たり前の世界になった。
20世紀前半の人々に、「21世紀初頭の世界では、文字による文通が親しい人も含めた主な会話手段である」と説明したら到底信じてもらえないだろう。しかし現実に、おそらく家族でさえ文字でのやりとりが圧倒的に多くなっている。これは20世紀末の人に説明しても多分信じてもらえないだろう。ほんの20年前、まだ携帯電話がかろうじてeメールをやりとりできるようになった頃のことを思い出して欲しい。
過去70年近くにわたり、我々は視覚優位の時代に生きている。
文字を読むのも、書くのも、友人と連絡を取るのも、基本的に視覚メディアだ。
GUI(グラフィカル・ユーザー・インターフェース)とは、そもそも視覚を起点としたユーザーイリュージョンの設計である。