GUI(グラフィカル・ユーザー・インターフェース)とは、そもそも視覚を起点としたユーザーイリュージョンの設計である。
from テレビからWWWへの変化だ。
GUI(グラフィカル・ユーザー・インターフェース)とは、そもそも視覚を起点としたユーザーイリュージョンの設計である。
アラン・ケイに才能を見出され、マサチューセッツ工科大学の教授となった石井 裕は、アラン・ケイの作り出したGUIを中心とする世界を「ピクセル帝国(pixel empire)」と呼ぶ。
ピクセル帝国への抵抗と叛逆こそ、自らの使命と考える石井裕は、独自に視覚のみに頼らないユーザーイリュージョン、Radical Atomsを構想した。Radical Atomsでは、基本的にはピクセルを用いず、現実世界の物理的な現象を引き起こすことでユーザーとインタラクションを行う。環境に思考力を持たせるというアイデアは瞬く間に広まり、アンビエント・コンピューティングやアンビエント・インターフェースというコンセプトに強い影響を与えた。
たとえばAlexaやGoogleアシスタントのようなスマートスピーカーは、アンビエントコンピューティングの一種と考えられている。
さて、しかしいざ冷静に考えてみると、我々は視覚に頼り過ぎてはいないだろうか。
歩きスマホは危ない、というのもあるし、ARグラス/VRグラスはやっぱりまだまだ普及するまでに最後の人押しが足りてない気がする。そもそも、本当に視界に情報が掲示されるのは便利なのだろうか。
Garminが発売している自転車用のARディスプレイがあって、筆者はそれをしばらく装着しながら自転車に乗っていたのだが、常に視界の一部がディスプレイに占拠されているのはどれだけやっても慣れることがない。
一見すると便利なのではないかと思うのだが、実際に使ってみるとなんだか面倒くさいのである。
最近はAR/VRをまとめてXRと読んだりもするが、ここでいう「リアリティ」はあくまでも視覚的なものを指す。
実際、筆者もゲーム開発者だった頃は、音が苦手だった。基本的に音をつけるのは最後の最後で、ゲームバランスの調整の時に初めて音を鳴らす。
というのも、音というのは重なりすぎるとちゃんと聞こえないし、ある意味で一番後回しにして問題ないプログラムでもあるからだ。
下手をすると、音がないゲームを作ったことの方が多いかもしれない。
映画音楽も、基本的には映像が出来上がってから発注する。映画を盛り上げるのに一番大事な要素とも言えるのに、映像が出来上がるまで音がつかないというのは全く不思議に思える。
もちろん編集時には、音がなにも入ってないと困るので仮の音楽を入れておく。
しかし仮の音楽よりも劇盤・・・すなわち映像に合わせて作曲したものがやはり最も良い演出効果を狙えるのが定説だ。
つまり、20世紀後半以降の世界はビジュアル・ファーストとも言える。