奮闘記の徒然6
2023/5/21
最近くまーるさんがちょこちょこ書き込みしてくれて、また、お元気そうで、嬉しい限り
このところ、プロジェクト工学フォーラム/ProjectScoreに意識が向いたこともあり、また、当初掲げたテーマについては、一定程度、書き尽くしたような気分もあったのだった
どういう形で続けていけばよいのか、また続けていくべきなのか、必要はあるのか、どうなのかしらんとは思っているが
まぁ、慌てて何かを決断する必要はあるまいと思っている
それはそうと、昨日まで、三泊四日の出張だった
あらためて、自然体の大切さを思う
自然に、あくまで自然に
無理はしない
楽しくやる
心の重心を、うわずらせない
そういう生活のために、と言うわけでもないのだけれども
お茶の世界に突如、衝突したのは良かった
一日の流れに、句読点を打つように、お茶を点てていきたい
2023/5/25
知り合いが最近、vtuber事務所の3番手の会社で仕事をしていると聞いた
上場準備のための、色んな整備を手伝っているらしい
たった数十名のタレントが生み出すコンテンツが、何十億もの年商を生み出しているとのこと
主な収益源は、投げ銭とか、物販とのこと
社員もみんな若くて、平均年齢20代、とか
元気があって、いいね、と思ったけど
なんだか、普段お付き合いしている世界と、世界観が違いすぎてびっくりした
そういう会社の社員のお給料って、どんな感じなんだろうと思って、業界一番手のサイトをみてみた
https://www.anycolor.co.jp/recruit
安い…
まぁ、そういう世界だよなぁ
まぁ、言ってみれば、くまーるさんは、そういう世界の隣の世界というか、前身となる世界に長らくおられたのである
映像制作、という意味では、永井さんも無縁とは言い切れないし
演じる、エンタメ、という点ではヒサトシだってそうである
それぞれみなさんの立場から見て、こういう現象に対してどう感じるのか、ふと、聞いてみたいなぁと思った
それはそれとして
最近、人生観、というものを考える
人には人それぞれの人生観がある
他者に干渉することの適否について考える
一方、最近、人類史のスケールで地球のことを、よく考える
そうすると、古典以外に読むべきものはないと思うようになる
自分もまた、古典たるべきものを書きたいとも思う
不易流行、というものを考える
価値創造は、信じることによってしか、成し得ない
より強く信じることができたものが、より遠くに届く
2023/5/28
永井さんの、広告がやりたいのだ、という宣言は、なんだか頼もしい
独立家にとって、自分のテーマを持つ、ということは、不可欠だと思うので
一方、結縄さんもそうだし、山田さんもそうなんだけど、永井さんも、制作物から商売のにおいがしない人だ
生臭くない、ということそのものは、とても素敵なありかたなんだけれども
同時に、生きていく以上は、稼ぐ、ということから逃れられないわけで
最終的に、そこをいかにすべきなのか、と、どうしても、考えざるを得ない
切った貼ったしたことのある、経験量の問題なのかな?などと考えてみたりもする
自分の場合は、一番最初の仕事が営業だった
当時、かなりの真剣勝負で、切った貼ったしたのだった
真剣勝負、とは、ときにイカサマですらあり得る、ということである
利害の綱引きを制するためには、タイミングを見極めることも重要だ
ハッタリだって馬鹿にならない
もちろん、真面目に愚直に、やるべきことを徹底するのも大事である
ひとつの取引を完結させることは、あらゆる虚実を織り交ぜた総力戦なのである
あの頃は、ありとあらゆる理不尽なことばかりで、ヤクザみたいなことばかりの日々で、まともな社会人になれるのかと、暗澹たる気分だったが
いまにして思うと、独立家になるための絶好の修行の日々だったのかもしれない
しかし、山田さんは山田さんで、ひとつの会社を背負って営業責任者をやってたわけで、それなりの切った貼ったをしてきたはずなのだが
そういうにおいが全然しない人なのである
そう考えると、切った貼った力というのは、経験からくるものというよりは、もともとあった資質が、環境により磨かれるもの、ということなのかもしれない
ちなみに、くまーるさんには、その資質をかなり濃厚に感じる
切った貼ったするヤマっ気とは、色気でもあり、野生でもある
それが独立家にとって、必須なのか、そうでないのか
これはもう少し、考える必要がある
2023/5/30
そんなことを思っていながら、ふと、永井さんのnoteを読むと、これがまた素晴らしい内容なのであった
https://note.com/chiisanashima/n/nba8b0c5a4e01
動画は、音質だ、という話
これはまさしく、そうなんだよなぁ
「プロジェクトと仏教」も、音質問題はどうにかすべきなのかもしれない
スタジオ収録のときは、必ずピンマイクだものなぁ
永井さんのメディア批評は、本当に価値あるテキストだと思う
堂々たる、プロフェッショナルの風格がある
それはおそらく、作り手としてのプロフェッショナル、職人、クリエイターとしての気風なのだろう
一方、プロフェッショナルには、金をもらう、という意味もある
つまり、プロとは、営業、プロデューサーとしての側面もあるのだ
そちらのにおいが、しないのが、永井さんの長所でもあるわけだが
まぁ、自分も自分で、商売っ気とかヤマっ気があるほうではないのだが
そこもそこで、どうにかしていかないと、独立家として完結していかないのである
2023/6/4
先週の後半は、家族で伊勢鳥羽旅行に繰り出していた
そのなかで、プロジェクトの華厳的解釈、というコンセプトがやってきて、何日かかけて、その論理構造をしこしこと書き続けていた
ようやく形になってきた気がしている
/ProjectScore/プロジェクトの華厳的解釈
この、伊勢鳥羽家族旅行そのものが、プロジェクトだったのだ
台風と梅雨の合わせ技による線状降水帯というリスクに晒され続けた旅であった
色々あって、なんとか、無事に、何事もなかったかのように、帰ってこれたのだけれども
現実的にありとあらゆる手を尽くしているあいだ、頭の中にあったのは、この華厳的解釈のことだった
これがわかったから、正しく処することができたのではないかと、そういうふうに、思っているのである
このアイデアは、かなり以前からモヤモヤとあったのは確かである
それがこうして、ようやく、形を取り始めてくれたのは、僥倖というほかない
おそらく、恐るべき水準で、真実に迫っていると思う
2023/6/6
プロジェクトと仏教と題して、一度、語り通してきたことによって、なにがわかっていなかったか、なにがわかっていたのかが、少しだけ、見えてきた気がしている
その気づきの原動力となった資料作成がこちら
https://docs.google.com/spreadsheets/d/1-6oOQKD1jQuL1ZkokzKGeL6M9HFTtDO_LYQw_y2a2mE/edit
まだ続けていくつもりだけど、一旦、これで、かなり見通しが良くなった
「仏教哲学を、広く浅く、考える」という本を出したくなった
その心は
十住心は不磨の大典なのか?
しからず
ということである
いくら空海が偉大とはいえ、その著作はやはり、時代の所産である
後世を知っている人間のほうが、勝負が有利なのは当然なのである
生きる哲学として、統合的な「仏教」を甦らせることは、可能であるはずである
2023/6/9
https://scrapbox.io/files/64830f772850ff001c63ef38.jpeg
まだ第一部の途中だけれども、えらい本と出会ってしまったなぁ、という一冊
語られるべきことの、大部分が、すでに語られてしまっているのではないか
こういう本に出会うと、自分の能力とか、才能みたいなものが、いかに矮小なものかと絶望させられそうになる
一方で、積み上げてきたことや、向かっている方向に、間違いはないのだと、希望も与えてもくれる
自分が全部をやれるはずもないのだから、この文脈のなかで、なにができるのか、を、考えればよい
いや、それにしても、本当に驚くことばかり
本というものは、人類の生み出した最高の発明なのかもしれない
それにしても
「仏教哲学を、広く浅く、考える」の企画も、ちょっと考え直す必要があるのかもなぁ
いいアイデアだと思ったんだけど
全面的に、考え直しが必要かもしれない
2023/6/10
一旦、駆け足ながら、「ブッダの世界観」の一周目を、完走。
最後まで読んでみて、著者のやりたいことが、よくよく分かった
できる限り、サンスクリット原典に近いテキストをもとにして(日本で独自に発展した仏教展開の流れをキャンセルして=禅、浄土宗、西田幾多郎や井筒俊彦、中沢新一らの思想は、できるだけ入らないようにして)脳科学の最新知見により、ブッダの考えたことを語り直したい、ということであった
古典的テキストへの迫り方が、妙にナイーヴな雰囲気があり、さりとてときに強く断定的で、なんだか、後半はずっとハラハラしながら読んでいた
単純化して言えば、本書のメッセージは「原始仏教と脳科学が、完全に一致!」ということである
類似したコンセプトの他の言説よりも、非常に強い説得力を感じたのは確かである
しかし
「我こそは、解明したり」という旗を掲げたい、その一心による、どこか焦りのようなものが流れているような気がする
著者自身が、悟り体験を得ていないから、なのではないか、というふうに感じる
「絶対的矛盾の自己同一」「存在の絶対無分節態」等の言葉に対する構えに、馬脚をあらわしてしまった印象が強烈に残るのである
現代日本社会における文系的なものと理系的なものの、相剋がここに象徴されている
それらの言葉は、いたずらに人を遠ざけるものではなく、真実に迫るためのギリギリの言葉であるからだ
それはさておき
フリーマン理論を中心として、カオスや自己組織化、創発といった現代科学の潮流を、十二支縁起という、ある意味ではもっともアヤしいフレームワークにぶつけて、非常に強い説得力のあるパースペクティブを展開した功績は、歴史に残る達成というべき偉業だと思う
また、原始仏教における各種フレームワークを、全体的に同じようなものだ、と並べ直した流れは、まさに自分も似たようなことをやりたかったことそのもので、やられた!という気分もあれば、楽しちゃった、という気分もある
自分の独力では、ここまで到達できなかった気もするから、素直に尊敬の念を覚える
神様仏様を持ち出さずに、誰もが、あるべきありように至れるんだぜ、という方向性にも、非常に深く共感する
だから、本書に出会えて、嬉しいし悔しいしもどかしい、という
一旦は、そんな感想を持ったのだった
あともう少し、語るとするならば
これを受け止める側の仏教界が、だらしないんじゃないかと思う
悟りというものを、神棚に祭りあげて、おろそかにしすぎなんじゃないの、と、思うのである
悟りなさいよ、という
語るのは、それからだぜ、という
それは、仏教について語る、ほぼほぼあらゆるテキストについて、思う