ゴトーの漢方不思議体験記
概要
漢方にまつわるいくつかの体験をもとに、知識を扱う難しさや「力」の不可思議さを考察するページ 初期遭遇
その昔、適応障害で辛い思いをしていた頃の話
まさに独立前夜の頃
心療内科の世話になり、薬の処方を受けた
西洋薬はなんかイヤ、という話を真面目に聞いてくださって
一時的な睡眠補助の薬と、漢方を処方してくれた
半夏厚朴湯
胸の苦しさを訴える患者によく処方するらしい
梅核気 咽頭喉頭神経症 実体がないのに詰まった感じ
漢方では、気滞によるもの、と、考えられている
自分は、飲んでも、うんともすんとも、なにもピンともこなかった
その話をしてはみたものの
「やめてもいいけど、続けてみたら?」と言われ
漢方って、そんなにすぐに明確には効かないものですよ、と
数ヶ月か、半年ぐらいは続けただろうか
いくら続けても、ほとんどなんの変化も起こさなかった
強いて言えば、トイレが近くなった
まぁ、漢方って、そんなもん、というイメージが強化されただけで
いまから振り返ると、あれは、即座に服用をやめればよかった、、、
そこまで強いものではないと思うが、若干、悪い作用があった気がする
あの頃、妙に風邪をひきやすくなった
医者といっても、必ずしも理屈をわかって処方してるんじゃない、という教訓
数年して
仲良くなった整体師との会話のなかで、花粉症と副鼻腔炎の悩みについて話していたところ
彼が東洋医学の勉強に熱心な人で、色々教えてくれたのだった
単純に症状だけで処方してはだめで、体質なんかも関係する、とのこと
ちゃんと診てもらい、効く処方と出会ったら、著効するよ、と
会話の流れで、小青竜湯や荊芥連翹湯を紹介してもらった
ダメ元で市販薬を買ってみて、服用してみたら
その年の花粉シーズンは、西洋薬なしで乗り切ることに成功した!
副鼻腔炎の症状もほとんど出なかった
毎年、花粉の季節になると即座に副鼻腔炎→抗生物質という苦しみに直面していたので、本当に有り難かった
ここで、東洋医学の考え方とか漢方に、本格的に興味を持った
その年の冬のこと
引っ越しのことや仕事のことで、忙しくしていた
精神的なストレスも、かなり高まっていたなか、ある朝、かなりキツい耳鳴りが発生
これはちょっとまずいかも、、、と、耳鼻科に
聴力には問題なく、即座にまずいものでもなさそうな状況
例によって漢方を処方してもらった
出されたのは釣藤散
これまた、うんともすんとも、なんにもならない処方だった
翌週、とくに効かなかったと話してみたら、代わりに出されたのが牛車腎気丸
診察の過程に相当不信感を持っていたので、これは飲まなかった
西洋医に漢方を処方してもらうのが、そもそも違うのかな、、と
脈をみるとか、舌をみるとか、そういうことを一切やってくれないし
整体の先生の言ってた「ダメな処方の仕方」そのものではないか、と
なので、改めて整体の先生に相談してみるが
自主的に勉強はしているが、きちんとした資格を持っているわけではないと
なので、ちゃんとしたところにいって、みてもらったら、と
で、年末に小石川の漢方薬局に駆け込んでみた
耳鳴りも気になるし、眠りも浅くて、かなりしんどい、と話して見たところ
処方されたのが桂枝加竜骨牡蛎湯
これがびっくりするぐらい、よく効いた
飲んだ瞬間、気持ちが休まるし、耳のあたりの緊張がほぐれていく
明らかに眠りも深くなって、さすが漢方!の感動
ただ、先生に、どういう理屈で処方してくれたのか質問しても、全然教えてくれなかった
教えてあげたいのは山々だけど、そんなに簡単に説明できるものでもないんだよ、という表情
そもそも、この地球は太陽と月があって成り立つんだよ、と
つまり、陽と陰
テクニカルな、腎だ、肝だ、という話は枝葉末節で
あなたは、陰陽のバランスが崩れてるんだ、と
それはわかったけど、じゃあなんでこの処方なんですか?と聞くと
そこはそう簡単に説明できる話じゃないんだよね、、、というなんとも微妙な表情をされていた
それよりも、飲んでみて、どう感じるかが大事だよ、と
飲んでみたら、ほっとする感覚があったので、そう話してみたら
とてもうれしそうな顔をされた
そういうやりとりに、かえって信頼を覚えた
自分が講師やコンサルとして、クライアントに感じるもどかしさに、似たものを感じたからかもしれない
で、一念発起して、自分で勉強しよう、と
その足で、御茶ノ水の丸善書店へ
医学書がしこたま並んでいるコーナーで手に入れたのが、この二冊
「漢方薬の考え方、使い方」(加島雅之、中外医学社)
「東洋医学の教科書」(平馬直樹 他、ナツメ社)
加島先生の本が、本当によかった
解明され、体系化されている部分と、そうでない部分が明確に整理されていた
「そんなに簡単に説明できるものでもないんだよ」の表情の意味がわかった気がした
で、迎えたのが花粉シーズン2023
例年よりもはるかに多い飛散量
市販の小青竜湯や荊芥連翹湯をなんとなく飲むのに不安があったので、相談したのだった
出していただいたのが苓甘姜味辛夏仁湯
これが著効したら、さすが漢方医!めでたしめでたし、なのだが
これがあんまり効かなくて、振り出しに戻る
手元の荊芥連翹湯のほうが、まだ効いている感じがする
それでもやっぱり、飛散量もすごいし、不快感が強い
というわけで、別のを処方してもらったのが苓桂味甘湯
で、これまたあんまり効かない、という
なんなんだよ、漢方!という
そうこうしているうちに、症状が徐々に悪くなり
喉の痛みも出てきて、これは炎症としてかなりまずいぞ、と
本も読んで、ネットもずいぶん検索してみた
「花粉症 漢方」ぐらいの検索だと全然イマイチなんだけど
「花粉症 腎虚」とかで検索すると、結構面白いページに当たったりするから面白い
でも、理論やら情報やらをいくら獲得しても、決め手に欠ける
結局、何を飲んだらいいの?が、よくわからない
そこでふと、アプローチを変えてみる
地元の耳鼻科で、漢方処方してくれるところがないか、と
探してみたら、漢方外来のある内科とか、漢方を出す耳鼻科の情報が結構出てくる
で、行ってみた
ホームページは「あなたの身体にあわせて、丁寧にみていきます」とある、とても優しそうな雰囲気
行ってみたら、先生は全然そんな雰囲気ではなかった
普通の耳鼻科の先生
「漢方?・・・別にいいけど、ちゃんと抗ヒスタミン剤飲みなさいよ」という
あのホームページは、一体何だったんだ、、、
漢方出してくれとお願いすると、別にそれはいいけど、西洋薬も飲め、と
そんなやり取りの結果、割りと雑な感じで処方されたのが葛根湯加川芎辛夷
ここにきて、まさかの葛根湯・・・?
あの、日本一メジャーな・・・?
落語で「葛根湯を飲め」といじられる、あの葛根湯・・・?
結構、絶望的な気分
私は、舌やら脈やら、診てほしいんだよ、と
で、腎ですね、とか、肝ですね、とか、証を立ててほしいんだよ、と
私の身体をしっかりみてほしい
そこで、これぞという処方をしてほしい
まぁ、それでもダメ元で飲むんだけど
飲んでみたら、これがめちゃくちゃ効いたのだった
症状があきらかに、大幅に改善した
鼻のまわりの嫌な感じ、ムズムズ感はすーっと消えていき
咳、痰も相当程度、軽快したのだった
つくづく、面白いなぁと思う
おそらく、ものすごく純粋な意味での、経験医学なんだと思う
それこそ、日中韓で、それぞれの理屈が体系化されているんだけど
いくら理屈を学んでいっても、深い森をさまようだけ、だったりする
本当は、自分で勉強して、自分で診断できれば一番早いと思ったんだけど
多分、それは無理なんじゃないかと思うに至った
耳鼻科の先生の、あの面倒くさそうな感じ、あれはヒントになる気がする
相当数の経験値を積んでいて、そのうえで、無意識のうちにパターンマッチングしているような雰囲気
逆に言えば、いかに漢方医といえども、花粉症の経験数が少ないと、精度が下がる、ということなのかも
改めて、これまで処方してもらってきたものを教科書で逆引きすると
やっぱり、どれもこれも、鼻炎や副鼻腔炎の項目で紹介されている処方だったりする
ある程度、あたりをつける分には、みんな、近い判断をするのだろう
ただし、ピンポイントで「これ」と選ぶのが、かなり難しい
ここまでのことを整理すると
診断があわないと、効かない →これは確か
あうと著効する →これも確か
漢方医なら的確に診断してもらえる →ケースバイケース
西洋医には診断できない →これまたケースバイケース
漢方的な四診は必須 →これもケースバイケース
理論を学べば再現できる →おそらくそうではない
数多くの経験が精度を高める →これはおそらく正しい
一歩深く考察
言語化や数値化が可能な、デジタルなデータを基準にできるなら、漢方AIの可能性が拓けてくると思う
それこそ、chat GPTによる漢方処方が実現するかもしれない
一方で、その「逆」の可能性も、考えざるを得ない
言語化されたもの、数値化されたものによる処方には、限界があるのかもしれない
診断の奥底では、かなりの程度、無意識なもの、身体的な判断が介入しているのではないか?
そして、それこそが、診断における最も重要なキー・ファクターなのではないか?
ここでふと、新たな漢方サービスを思いつく
安全な量、範囲で、「試し飲み」させてくれるサービス
結局のところ、飲んでみなくちゃわからないんだから
そして、ある程度のアタリはつけられる
効く薬は、結構その場でわかるんだし
そういうのって、難しいだろうか
それはそれとして、いよいよ主題へ
こうした漢方体験を、ビジネスの場にあてはめると色々見えてくる
世の中の「コンサル」が信用されない構図が見えてくる
要するに、経験が少なく、理論だけを頭に入れた人間
一方で、経験は多いけど、理論の勉強が少ない人も、やっぱりどこか、ダメなんだ、という
これこそが、知識というものがもつ不可思議さ、難しさ
おそらくそれは、その人にとって経験量の多い分野、のことなのだと思う
多くの場合、好きなこと、できること、は、自然と経験量が多くなる
経験量が多くなると、判断が高速化され、精度もあがる
無意識のうちに、他人とくらべて、その分野では圧倒的なパフォーマンスが発揮できるようになる
学校で学んだことや、仕事の上で繰り返すことも、力の形成には大きく関わるのだと思う
問題は、その力を自覚するのが、本当に難しい、ということ
それこそ、葛根湯加川芎辛夷を処方してくださった先生は、自身の「漢方処方の力」に、多分、無自覚だと思う
もちろん、たまたま偶然ヒットしただけ、かもしれないけれど
たぶん、偶然を引き込むのも含めて、力のなせるわざなのだと思う
これが、人間や、人間の経済の、不思議
こちとら、自分の花粉症を良くしてくれる先生は死ぬ思いで探していて、いくらでも対価を支払いたいと思っている
でも、その力を持っている人は、それと自覚もしていない
いまこの世にある会社組織は、対価交換による、力と需要のマッチングをその本務としているわけだけども
全然うまく機能していない
だから、こんなに生きづらい、息苦しい
食料生産や必要なモノの生産力はものすごいものがあるけれど
環境負荷がとても高い
おそらく、考えるべきは
自分で自覚していない力により、人を助けていて、またそれにより、自分も助けられている、ということ
そこに気づこうよ、というのが、JJのコンセプト、ということ
このあたりの話になってくると、とうとう仏教哲学の領域に踏み込まざるを得なくなってくる