食卓の歴史
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日本
銘々膳が高坏から発達したのか中国や朝鮮の膳から発達したのかは不明 同じものか微妙に違うのかよくわかってない
銘々膳(each膳)の一形態が箱膳だと想像
「はこぜんライフ」は、土間の流し、膳棚、イロリの間など、江戸時代の延長線上にある住居空間の構成に密着し、 「箱膳を使用した場合、膳とそこに格納された食器の管理は、原則として、使用者にまかされていた。食事がすむと、食器を湯茶ですすぎ、フキンでぬぐい、箱膳のなかに格納し、自分で膳棚にもどすのであった。食器を洗うのは、一ヶ月に2~3きまった日に、主婦や使用人が一括しておこなったのである。...衛生思想の普及もあいまって、チャブ台が採用されると、毎回の食事が終了するたびに、全員の食器を一括して洗うようになった。」(石毛直道「食卓文明論 - チャブ台はどこに消えた」中公叢書、2005年) 食器洗いにも歴史があったmtane0412.icon そして、わが国ではに奈良時代から一人分の飯と汁,菜を椀や皿に盛って各人ごとの膳に配る「銘々膳」という給仕方法が行われていた。この習慣は乏しい食べ物を公平に、あるいは身分、序列に応じて分配する知恵であるとも考えられる。
さらに、家族の一人一人が自分専用の飯茶碗、湯呑みと箸を使うという世界的に見て珍しい習慣もこの時代から始まっている。
そういえばそうかmtane0412.icon
会話
はこぜん(銘々膳)の時代には、食事の際の会話は禁止である場合が多く、もっぱら父親が必要なことを喋っていた。
チャブ台は「茶の間」を中心とする都市の小市民的住居空間と結合する食卓である。 普及の理由
核家族化していく狭い住居の都市居住者にとって、格納に便利 おかずの多様化や毎回食器を洗う必要のある油の多い料理にも対応している
会話
箱膳とテーブルの中間
一般にテーブルが普及したのは1956年に日本住宅公団が2DKの集合住宅を供給するようになったからだといわれる。 もっともそれ以前、昭和20年代に農村部において推進された生活改善普及運動において農家の「台所改善」事業として、農作業との兼ね合いが合理的な土間でのテーブル使用が進んだことも重要であったといわれる
会話
テーブルの時代には、会話は自由となり、話題の中心は父親から母や子供、あるいは祖母へと移った。
主に共食器しか使わない民族も多い
個人食器を使う文化圏でも大皿から個々人の皿に移す文化がある
「例外的」と形容詞がついてる
宮廷文化やルネサンスとか?
共食器とともに個人食器が使用されることになった
皿、スプーン、フォーク、箸など
座食は食事中に移動しにくい
そこで個人食器に盛りつけられた料理を、その前に座って食べる
個人食器がよく発達する