鎌倉市国
デライト.icon
希哲館の拠点構想の集大成だったhiro.icon
希哲紀元と並び、いかに希哲館事業が強い独立意識を持っていたかということを示す面白エピソード
今となっては笑い話のようなところも……というかほぼ笑い話
もともと希哲館は鎌倉を拠点とすることを想定した国際的知識機関構想だったhiro.icon
源氏山あたりに日本建築と古代ギリシャ建築を融合したような、一見すると小規模な館を建てるという建築構想でもあった
東洋文化と西洋文化の究極の結合を建築でも表現したかった
森の中に静かにたたずむ神殿のような「希哲館鎌倉本館」だが、実は山自体が巨大なビルになっており、その中に業務機能が詰め込まれている
小さな外観に大きな内部を持たせた建築自体で、いわば人間の理想を表現しようという意図もあった
これを「擬態建築」などと呼んでいた
「地上にある地下」というトリックアーキテクチャ
建築基準法的に実現可能なのかどうかは未調査だが、そこは政治力でどうとでもしようと思っていた
外観のイメージとして最も近いのは鎌倉文学館
https://dlt.kitetu.com/KNo.F85E/0758-430F.webp?20260602213008
ChatGPT製のイメージ
建築も含めて希哲館を中心とした新しい文化を作り、世界都市化を目指した鎌倉再開発につなげ、それこそ古代ギリシャのように世界に波及するような新文明を作り上げる……という途方もない夢だった(ジャパノ=ヘレニズム)
将来的に国際社会から中立性を問題視された時の対応策として、領土独立案を用意しておくことにした
その名も「鎌倉市国」構想である
バチカン市国をモデルにしている
あくまでも「希哲館は独立した主権を持っているべき」という国際社会の合意形成を経て行われる独立なので、もちろん平和的に可能である
SNS などの国際的中立性が問題視されている今ならその意味は理解されやすいだろうが、いかんせん先見的過ぎて当時は説明されても意味不明だっただろう
鎌倉はいくつかの点で希哲館事業の本拠地に適していると思われたhiro.icon
当時の私好みであった
私はあくまでも開拓者でいたかったので、「栄えている土地」は最初から眼中になかった
特に東京からは離れたかった
地元である浦安市からも離れたかった
当時の浦安(東日本大震災前まで)は右肩上がりに成長していて、周囲では景気のいい話ばかりだった
私にとっては、放っておいても成長を続けるであろうつまらない街だった
宮本武蔵のように、出来ることなら荒れ野を開墾してそこを希哲館を中心とした知識都市として育てたかった
それはあまりにも時間がかかり過ぎる
50年かけて小さな村が出来たら大成功というくらいに険しい道のりだろう
歴史があり、そこそこの賑いがあり、良い感じに寂れてもいる鎌倉を改造するというのは折衷案として魅力的だった
この時、私は鎌倉が観光地としても住宅地としてもそこそこ人気があることを知らなかった
「なんで?」という反応を期待して周囲に「鎌倉に行きたい」とよく言っていたのだが、意外にも「いいね」みたいな反応が多かったことで気付いた
かつて鎌倉幕府などがありながらも時代に忘れられたような街を世界都市として復興させることにロマンを感じていた
当時の私は源頼朝に自分を重ねていた
頼朝の「天下の草創」は一番と言ってもいいくらい好きな言葉だった
武力によって事実上の独立政権を築いた頼朝のように、知力によって世界の中心となる独立機関を作りたかった
これが「鎌倉博府」構想へとつながっていく
まさに「天下布知」である
「天然の要害」だった
当時の希哲館事業はありとあらゆる点で暗中模索状態であり、いかなる障害に直面する可能性も排除できなかった
例えば、政府や外国勢力と戦わなければならない状況すらも想定していた
当然、非対称戦争になるので、セオリーとしてゲリラ戦に持ち込むことになる
私は少年時代から喧嘩好きでもあり軍事にある程度の興味もあったので、それはそれで楽しもうと思っていた
鎌倉は地形が閉じていて複雑なことから防衛しやすい「天然の要害」とされてきた歴史がある
実際に守りに強いかどうかはともかく、明らかにゲリラ戦向きであろうとは思えた
軍隊に追われて森の中に潜んでいる自分の姿まで想像していた
ジパング計画との相性も良かった
「ジパング」は概ね中世日本と比定されているため、鎌倉のイメージにぴったりだった
自分の出自が利用できそうだった
私は浦安の宇田川一族の系譜に属するが、この一族には、室町時代に鎌倉・扇ガ谷を拠点として南関東を支配していた扇谷上杉氏の末裔であるという説が地誌レベルで根強くあった
浦安市の文化財「旧宇田川家住宅」の立て看板にそんな話が堂々と書いてある
要するに、「かつての鎌倉の主の末裔」という権威付けが可能であった
ちなみに扇谷上杉氏というのは江戸城を作った太田道灌の主君であり、道灌亡きあと江戸城に入った「天皇以前・徳川以前の江戸城主」である
鎌倉を中心に関東を動かせれば日本が動かせる、日本が動かせれば世界も動かせる、その「関東の盟主」の象徴としてこれも利用できると考えていた
東京一極集中のおかげで、関東は世界の国々の上位10位に迫る経済規模を有している
一人の人間がこの自由度で動かせる非独裁的な「国」としては世界最大と言っていいだろう
今のアメリカは事実上の独裁国家とするとして
このために「希哲館関東管領職」なんてものまで用意していた
「関東管領」とは、室町時代に上杉氏が世襲していた職で、関東全域で一二を争えた権力者の肩書きである
かの上杉謙信がこだわった肩書きとして有名(上杉を名乗り始めたのも関東管領と深く結びついた名跡だったから)
扇谷上杉氏はその庶流だが、実力で事実上の関東管領とみなされていた時代がある
それを希哲館で精神的に継承してしまおうという話
私はもともと俳優志望であるとデライト開発者のページに書いてあるが、この布石として芸名は「扇谷浩行」にするつもりだったことがある
扇谷のローマ字表記を Augigayatu としてローマ帝国初代皇帝アウグストゥス(Augustus)になぞらえようとしたことすらある
実利的なものもあるが、何より、「かつて鎌倉から関東を支配して滅亡した一族を再興し、再び鎌倉から関東を制し世界の頂点に立つ」なんて、私の性格上これ以上ないくらいロマンを感じる物語だった
大河ドラマでもこんな大河は描けまい
行くところまで行った感のある鎌倉拠点構想だったが、ある時期を境に急速に萎んでいくことになるhiro.icon