自分語りのできる場所
yuki_minoh.icon多分既出だと思いますが
というか井戸端のどっかの記事で読んだな。。。
わかる人は挙げてください
誰かに応答する必要はない。自分の関心から始めていける。
コミュニケーションと「記録」の境目がない
記録それ自体がコミュニケーションであり、コミュニケーションそれ自体が記録である
コミュニケーションが目的ではなく手段になっていると言えそうyosider.icon
語り部にとって、出来事は文書ではなく語りによってつなぐもの 記録しないことで、コミュニケーション=記録が逆説的に成立する
井戸端と語り部はコミュニケーションと記録がほぼ一致するという構造を共有しているのでは
「語り」を時間と行為から解き放った抽象的な形としてのScrapbox SNS論
Scrapboxも行為からは解放されきったわけではない。Scrapboxもまた他人の参照と書き込みを期待している
現状では、企業やサークルなどの、それぞれの独自の自己努力の中で、か細く維持されているのが内面を共有するコミュニケーションだと感じる
つまり、コミュニケーションの舞台としての「公共」空間が全く無くなってしまった
公共空間でハンナ・アーレントを思い出したけど、具体的な言説まで思い出せない……takker.icon 今度倫理の教科書を見返そう
ハンナアーレント、100回読もうと思って100回読めていない。。。yuki_minoh.icon
「存在しなかった」のか「存在しなくなったのか」どっちだろうかtakker.icon
おそらく存在しなかったと思われるが
他の場所でこれができるだろうか?
非常に難しいのでは。Twitterもブログも、他人との適度な距離感を緩やかに保ちつつ、独白を許容するような心理的安全性を作り出すことはできていないように見える
実際ここは、各サービスで「他人との距離感」という変数が違うだけ、ということかも
他人との距離感でSNSのマトリックス図誰か書いてないかな
あまり添えてないですが、それっぽいものつくったりしてましたsta.icon
ブログとScrapbox(公開)はだいたい同じなのでは、とも思うdokudami.icon
目立った共有機能がない
読んでもらうことが目的でない、とかはあるけど、
はてなブログの「純日記」タグや記事まとめを追うといろんなふつーの人の日記や自分語りを見れて面白いのでおすすめnejimaki.icon 自分もなんでもない日記や自分語りを書くためにサブブログ作ったけど、気軽に文章出せてなかなか良い。
Scrapboxが本当にすごいのは、他人との適度な距離感と心理的安全性を作り出しつつ、それを外部から見える場所に成立させたことだと思う。 SlackもDiscordも、ぬくぬくではあるけど、外部から見えない空間に多くのものを閉じ込めてしまった
逆にそこが画期的だとは思うけど
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