群盲象を評す
その経緯ゆえに、『木を見て森を見ず』 と同様の意味で用いられることがある。 また、『物事や人物の一部、ないしは一面だけを理解して、すべて理解したと錯覚してしまう』 ことの、例えとしても用いられる。 あらすじ
この話には数人の盲人(または暗闇の中の男達)が登場する。盲人達は、それぞれゾウの鼻や牙など別々の一部分だけを触り、その感想について語り合う。しかし触った部位により感想が異なり、それぞれが自分が正しいと主張して対立が深まる。しかし何らかの理由でそれが同じ物の別の部分であると気づき、対立が解消する、というもの。
現実において群盲評象が生じた場合、最終的に「対立が解消する」かどうかは場合によりけり
対立が解消したとしても、結果が正しいとは限らない
日本では、凡人が大人物、大事業を理解し難い有り様の直喩、として使われる用語である。 素人が集まって議論(というより四方山話?)を交わすと群盲評象になりがちhatori.icon とはいえ「専門家」も時には間違うため、議論を行うことには意味があるはず 発言する権利・議論する権利は素人や専門家を問わず、誰もが持っているもの
関連項目