種田山頭火
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種田山頭火 - Wikipedia
種田 山頭火(たねだ さんとうか、本名:種田 正一(たねだ しょういち)[1]、1882年(明治15年)12月3日 - 1940年(昭和15年)10月11日)は、日本の自由律俳句の俳人。山頭火とだけ呼ばれることが多い[1]。
山口県佐波郡(現在の防府市)の生まれ。『層雲』の荻原井泉水門下。1925年に熊本市の曹洞宗報恩寺で出家得度して耕畝(こうほ)と改名。各地を放浪しながら1万2000余りの句を詠んだ[1]。
青空文庫_作家別作品リスト:No.146(種田山頭火)
分け入つても分け入つても青い山
や
まつすぐな道でさみしい
は、青空文庫_草木塔にある
俳句