眼高手低
がんこう-しゅてい
目は肥えているが、実際の技能や能力は低いこと。知識はあり、あれこれ批評するが、実際にはそれをこなす能力がないこと。また、理想は高いものの実力が伴わないこと。 眼は高いところを見ているが、手(=実際の能力)は低いところにある、ということ
これは普通なのでは...と思ったら自分のページが貼られてて草基素.icon
たしかに、自然なことだよなあ……yosider.icon cf.
眼高手低と思っているのは自分だけで、実際には「眼低手低」の場合もある...?hatori.icon
知識が乏しく批評も下手かつ無能
ともすると「眼無手無」かもしれない
類語
志は雄大だが、それに見合った才能に欠けること。
さうしてその自信が又一方では、絶えず眼高手低の歎を抱いてゐる我々に、我々自身の自信を呼び起す力としても働いてゐた。実際自分の如きは、もし久米と友人でなかつたら、即彼の煽動によつて、人工的にインスピレエシヨンを製造する機会がなかつたなら、生涯一介の読書子たるに満足して、小説なぞは書かなかつたかも知れない。さう云ふ次第だから創作上の話になると――と云ふより文壇に関係した話になると、勢いきほひ何時も我々の中では、久米が牛耳を執る形があつた。その日も彼が音頭とりで、大分議論を上下したが、何かの関係で田山花袋氏が度々問題に上つたやうに記憶する。 私にしても紅葉さんの眼には生意気に映つたのである。眼高手低の一書生として映つたのである。従つてもう少し書く方を修業したら何うだ! といふ風に度々言はれたのである。それを鼻の先でフンと笑つて吹飛ばしはしなかつたけれども、いくら筆は旨くつても、内容がなくては駄目だといふ風に考へてゐたので、それを余り身に泌みてきかなかつた酬ひが一生ついてまはつてゐて、今だに文章が旨くかけないので苦しんでゐる始末である。 関連項目