手が慣れるより目が肥える方が早い
世の中で、自分の目に入るもの(マス向けの製品)は、ほとんどの場合10年以上の経験を積んだプロの作品だ
自分が作品を作るとなると、そのレベルに到達するまで多くの時間がかかるものを見て育つ。そして、認知的には「ふつう」のラインがそこにおかれる。
プロの作った楽曲を聴いて、どちらが好みか比較する
プロの作った漫画を読んで、巧緻を議論する
こうして目が肥えていく。審美眼が養われたといいかえてもいい。 実際に創作活動を自分でやってみると、自分の作品の不出来さに悲しくなる。 これは自分の中の作品を自分の普通のライン(=プロのつくったもの)と比較することによって、その落差の大きさを実感するのが一因だ。 創作続けた時間よりも、プロの作品を眺めた時間の方が圧倒的に長い。
自分のスキルが自分の審美眼を唸らせる(=プロの作品を凌駕する)ことができる基準に達していない。
そういう状況を「手が慣れるより目が肥える方が早い」と呼んでいる。普通のことだ。
自分に誤ったイメージを持つのもメカニズムが似ている
自分が「この程度の仕事サクッと終わらせられる」と思っているのに、実際にやるとうまくいかないとき、人は自信をなくす。
結局のところ、僕は自分に自信を持ちすぎていて「書こうと思えばスラスラ書ける」という誤った自己イメージを持っていたわけだ。だが実際に書き始めると悪戦苦闘した上に予定通りの時間で全然終わらない。そしてその「不都合な真実」から目をそらすために、無意識に「書くこと」自体を避けてしまう。これがいわゆる「現実逃避」の起きるメカニズムなんだな。