正式名と仮名
from 2024/02/29
正式名と仮名久住哲.icon
何かをしようとするとき、なにか問題にぶつかると、それをどうにか解決しようとして、なにか方法を考えるわけだが、その方法に目印として名前をつけることがある
その名前が一般名詞である場合、その目印を見た自分が、それが単なる目印(いわば仮名)であるということを忘れて、その名詞の意味に引きずられて、当初その目印が指示していたものとは別なものを読みとってしまうことがある
メタファーとリテラル
たしか、いま話題のローティが『偶然性・アイロニー・連帯』p62で、字義通りとメタファーの違いは、旧来の言語と新しい言語の違いのようなものだと言っていた
例えば、〈自分の個人Scrapboxプロジェクト内の、もっぱら使うために参照されるためのテキスト〉に「ドキュメント」と名づけたとき、この記号は旧来の語彙における「ドキュメント」とは別なものを指している。ところが、自分が再びこの「ドキュメント」という記号を見たとき、それを旧来の語彙における「ドキュメント」として扱ってしまう可能性がある。例えば、それを「文書」と言い換えられるのだと考える。そして、この解釈は正しいだろう。たしかに、「ドキュメント」は「文書」と言い換えられる。だが、私がこの言葉を使ったときには、「ドキュメント」はメタファーとして使われていた。
仮名のために一般名詞を使うと、自分のなかだけでもこうしたズレが生じる可能性が高くなる。では、仮名のために「hgy_43Asw」のような記号を使えばいいだろうか。久住哲.iconはいやだ。
嘘 (Summer498) とかが似たような試みに見えますinajob.icon
それでも引っ張られるとは思いますが、幾分かマシな解決策に見えます
似たようなことを考えたことがある(気がする)inajob.icon
→結晶化の暴力
泥臭く向き合うsta.icon
「ドキュメントという言葉を使っているが、旧来の意味としてのドキュメントと、この前あそこで名付けたときにつかったドキュメントの二つがあるなぁ」みたいな自覚をする
メタ認知のように、もう一人の自分が、ドキュメントという言葉を使おうとしている自分を観察しているイメージ
いちいちやってはいられないのでいつやるかのバランスは難しい
メモとドキュメントというページでは、「1」や「2」という数字によって、特定様式のテキストが指示されている
私的言語
言葉は慣習である
当座理論(passing theory)
https://opac.ll.chiba-u.jp/da/curator/900118585/18834744_30_79-91.pdf
ここらへんと三木那由他さんの「言葉の引力」が関わってきそうだ久住哲.icon
言い間違いのスルー
マラプロピズム
ハンプティ・ダンプティと意図