愚痴を聞いてほしい人VS解決法を言ってしまう人
maichan.icon
私はただ話を聞いてもらって「大変だったね」と共感してほしいだけのことが多い 同感
それだけ真剣に考えてくれているということはわかるし、ありがたいが、求めているものではない
ケンカになってしまう
「話を聞いてほしいだけ」ということを伝えて解決
共感だけしてもらっても何も解決しないのでは?
共感してくれる人がいる、というのは結構心強い
それだけで救われたような気持ちになることがある
解決法は自分で探すorもう決まっている、「共感」はそれを後押ししてくれる
解決法を提案してほしいときは「どうしたらいいかな?」と言うようにはしている
真面目に相談するなら(話の流れで愚痴るとかでないなら)「話を聞いてほしい」とか「解決策を一緒に考えてほしい」とかは相手に伝えた方がよさげ
はるひ.icon
と思って妻との会話で共感を示していたら、実は解決策が欲しかった、みたいなことも多かったので一概に性別では言えない模様inajob.icon
+1nishio.iconyuki_minoh.icon
基本無視する
似たような愚痴が何度も入ってくると、そろそろうるせえ!の意をオブラートに包んで後者が出ることはある 基素.icon
基本後者をする
こっちの方が得意
愚痴を聞くという経験に乏しい
数回同じ構造で嫌だと思うことがあったら自分は行動を変えてしまうので他人にもそうアドバイスしがち
構造に問題があると考えるため
違うよと言われたらそれに合った行動を取る
shoya140.icon
私は後者になりがちなので気をつけたい
自分が「話を聞いてほしいだけ」と思ったことが一度もないかも...
なのでどのように共感すれば相手のためになるのか想像するのが難しい
解決策でなくでもいいので相手の視点からの意見や気付きがほしい
ケンカにはならないけど、無力感が増す
Mijinko_SD.icon
基本前者
後者は人柄をよく知る人にのみ
そうでなければ、前者と後者、どちらが適切かを判別できない
どう見ても愚痴ではないなと判断できる時は、この場合でも後者を選ぶことはある 「PCの設定がわからなくて作業が進まなくて困る」とか
「作業が進まなくてイライラする」なら愚痴かも
例外はある(一々書くとキリないけれど)
問題を放置していると多くの人の不利益になる可能性がある場合、上記に関わらず後者を選ぶことがある
あんまりよく知らない人が自分に対して解決を求めていた場合は、そもそもわかりやすい挙動をすることが多いと思う
後者がアウトな人(求めていない人)は
そもそも解決を求めていない(問題と認識していない)
解決法を実践するだけの余裕がない
わかっているけれど敢えてやっていない
後回しにして別のことをやっているとか
みたいな感じなので言うだけでマイナスになる
+1sta.icon
yosider.icon
後者をしがちだと思う
聞いているだけより、解決策を考えるほうが楽しいからかも
sta.icon
後者
前者については「自分エリアつくってネットで公開するなりして読ませればいいのでは」「そしたら相手も拘束しないし」「フィルターは各自がやればいい」と思っている が、たぶんそういうことじゃない
見てもらうと聞いてもらうはたぶん違う
あとは「前者なんて許されるはずがない」「一方的に迷惑かけてるだけだし」「非生産的だし」「質疑応答で情報をギブアンドテイクするのがコミュニケーションの原則」みたいな信念もある気がする
だから人と仲良くなれないのかもしれない?
資本主義(稼ぐのが是≒生産が是≒効率!生産!何もしないのは無益!)に毒されているだけかも
前者には「指向性」もありそう
sta.iconは前者の欲も(後者と書きながらも)結構あるが、ネットに公開することで発散している
ネットに公開した方が、読者が広いのでお得感
と、いくつかのカウンセラーや学者の本を読んでて感じた
心の余裕が足りていない人へは、まず余裕を作ってあげることが適切であると感じますMijinko_SD.icontakker.icon なるほどsta.icon
鏡?ではないが、傾聴を示されると冷静になれるってのはありそう
前者できる人(自分が前者をしたときに受け止めてくれる人)がいたら心強いし、辛いときもしのげそうだなあとは思う
(正直言えば欲しい(が、手に入れるのむずいので意地張って「俺は後者で行くんだ!」としているw))
こここそが親友や恋人や家族といった存在の意義なのかもしれない
終わりやゴールの有無なのかもしれない
共感してほしい人に「あなたにとって共感とは?」「どうなったら終了しますか?」とゴールを定めに行っても、たぶんそうじゃない感
じゃあ共感してほしい人は何を求めているかというと、正直わからないが、「終わりやゴールを設定しない」感はありそうだなぁと
なにがわからないかわからない状態で話す
inajob.icon
自分も後者をしがち
エンジニアには多そう、他の職種の人はどうか気になる
妻が妊娠・出産する中で、地域の保健師さんの訪問や、子育てセンターの職員さんに悩みを話すことがあったが、共感を示されるだけで解決法を出してくれず、なんだかなーという気持ちになった とはいえ、共感されるだけでも落ち着くようなことも何度かあった
nishio.icon
「共感だけしても何も解決しない」に関して
「いま共感されてないことが問題だ、共感してほしい」って人にとっては共感されることがイコール問題解決なのでは
確かにはるひ.icon
解決フローチャートの初めの方に「共感をすれば解決しますか」という項目を用意するのが良いか?inajob.icon
何気ない雑談の中で共感or解決策の選択肢が生まれることも多いので、問題解決以前に問題として認識するという項目も必要なのかな(?)Mijinko_SD.icon
その人に対して「共感」せずに「冷めた第三者的な意見」をぶつけることは「ユーザのニーズに合わない商品を売ろうとしている状況」なのでは wogikaze.icon
ここまで書かれてるってことはこの問題に出会うことは多いのだろうか
自分は後者のほうが得意、しがち
もちろん共感だけでも心に余裕ができたり安心したりするのは分かってはいるがついつい解決策を出してしまう
rmaruon.icon
cFQ2f7LRuLYP.icon
聞いてもらうときは解決策がほしい側
愚痴を言ってるとだんだんつらくなる
相談していて(解決策欲しいなぁ)と思っていたら「うんうん、そうだよね〜」(そのまま話題フェードアウト)となってしまったことがある
解決策探してます!と明示してなかったんだろうなあ
話してもらうときは解決策言いがち
人となりのわかった人だと(ははあこのムードだと話聞いてもらいたい感じだな)というのがちょっと働くようになった
Summer498.icon
解決策を欲しいし、解決策を言ってしまう人
下手な解決策 < 愚痴を聞く < マトモな解決策 の順で欲しい
相手の悩みを理解しているがそれを表現できていないので、共感せずに解決策を言う人になっていると思っている
biwa.icon
誰かが相談してきたら、解決策が欲しいのか、ただ共感して欲しいのか、を聞いた方が良い?
自分が相談するときに、後者か前者かあんまりわからないな
人に相談事をあまりしない
強いていうと、自分の解決策が正しそうか、みたいなのを確認してる時はあるかも
イタロー.icon
応答として、共感となぐさめと解決法がブレンドされたような言葉を返すことに努めている(なるべく)
わかる〜!!.iconSummer498.icon
yuki_minoh.icon
すごい個人的な見解だけど、この区別(共感か解決か)が本質だと思ってる人には、考え直すことを勧めたい
他の人たちがそうだと言いたい訳では無いけどね
情操も知性も大事だし、どちらかを欠いて良いわけではない
自分がどっちが好きとかよくやるとかよりも、相手が求めてること/相手に必要なことに誠実に対応しようとすることのほうが何倍も大事だよねーと思う
で結局僕がよく使う方は「解決策考える」ほうだと思う
と思ったけど相手によって全然変えてるな
どっちも楽しいしそれでいいじゃんね〜
共感力も解決力も両方めっちゃほしい
共感によって解決することもあるし、「解決策一緒に考える」っていう共感もあるよね〜