意識の奥底で、ほとんど無意識に近いところで、つねに鳴っている日本語
from 2024/01/22
意識の奥底で、ほとんど無意識に近いところで、つねに鳴っている日本語
柳瀬尚紀の翻訳はいかにすべきかの中で、自らの深いところに流れている文章の話意識の奥底で、ほとんど無意識に近いところで、つねに鳴っている日本語の話があった
*毎年この時季になると、この土地は暴力でいっぱいになり、まるで地元の人は冬のシーズン中、身を慎んでいるようだ.
The local air down here this time of year is full of violence, as if the natives are on good behavior during the winter season.
なるほど原文どおりの訳文だ。しかし「暴力でいっぱい」というのは、いささか拙いのではあるまいか。小学生作文では特選ものの表現だろうが、もう少しおとなっぽく訳すべきではないか。
と、記して、ふっと吉増剛造『熱風』(中央公論社)の詩語が聞える。
こうして夢魔の境に歩がすすんでゆくところ
ああ、霊感がいっぱい、あたりまえのこといっぱい
(...)筆者の場合、翻訳の実践中、意識の奥底で、ほとんど無意識に近いところで、つねに鳴っている日本語がある。『熱風』はその最も強烈なものの一つだ。
詩人が発する「いっぱい」という語は、他の語で置換えることはできない。たんに辞書におさまっている「いっぱい」からはどんなに耳を近づけても聞えないひびきを、この詩の「いっぱい」は放つ。
p.83,84
動くの話。詩人の詩語は置き換えることができない(しかもひびきを放つらしい)cFQ2f7LRuLYP.icon