叱る人、寄り添う人
これも役割を決めた方が運用は楽
決めない場合は、適宜子供が孤立しないように叱ってない人が寄りそう必要がある
夫婦でしているお店で働いていたことがある。そこで怒られたとき、もう片方からは怒られなかった経験があるseibe.icon
意識的かどうかはわからないが、この運用をしてもらってありがたかったと感じている
孤立しなかった
叱る役割を固定した場合、いつも叱る人が居れるわけではないため決めない方が良いのでは? とも思う
また行動に対して叱られているとみなせるようにするため、叱る役を固定化しない方が良いのではないとも思う
+100Summer498.iconbiwa.icon
両方叱るとタダの尋問になるのでイカンSummer498.icon
この運用をすると決めた場合、叱る側に回る方には嫌われる覚悟($ >嫌われる勇気)が必要になりそうSummer498.icon 叱るって辛いのです・・inajob.icon
だよねぇSummer498.icon
この分業の仕方の間違ってる感を言語化したいSummer498.icon
子供目線だと「怖い人」と「優しい人」という風に学習してしまう
人間そんなに単純じゃない
不公平感はどうだろう
直感的には叱る側がより不利益を被って見える
superclass 親
生命への責任を伴う
叱る側 extends 親
嫌われる覚悟が必要
道徳への責任を伴う
精神発達への責任を伴う
エネルギーが要る
知的体力
道徳への責任のために絶えず自分の叱りが正しいかどうか考え続ける必要
身体的体力
子供が反抗して暴れたら (手に負える範囲で) 抑える必要がある
そもそも子供が起こした問題が暴力沙汰の場合、(手に負える範囲で)抑える必要
寄り添う側 extends 親
精神発達への責任を伴う
寄り添うが依存させてはならない
エネルギーが要る
精神的体力
寄り添うのに必要
身体的体力
精神的体力を維持するために必要
子供が寄り添いが必要な状態かつ暴れる場合、 (手に負える範囲で) 抑える必要
↑勿論これを書いてるSummer498.iconの「自分の親にこうあって欲しかった」という思いが含まれうるSummer498.icon
自覚があるのは道徳への責任のために絶えず自分の叱りが正しいかどうか考え続ける必要 の所
正直、癇癪で怒っている人、かなり多そうinajob.icon 先に癇癪で怒っているから、そのあとで理由を探すことになってなんかおかしなことになる 子育てを始める前に癇癪を起こさないような人間に成熟する必要があるSummer498.icon 観測する限り、これは押さえられるタイプのように見えないinajob.icon
その後のケアとかは後天的に成熟させられそう
へぇ.iconSummer498.icon
そうかなぁSummer498.icon
癇癪を起こした瞬間に取り押さえられて、今の感情を徹底的に言語化・分析させられる環境で育てば生来の癇癪持ちも直るんじゃないだろうか
癇癪を起こすと取り押さえられるという不利益を生物的に学習する
感情を徹底的に言語化・分析することで認知の歪みを認識 / 矯正する
自分が癇癪を起こすというメタ認知が働く
気になる、けど別のゆがみが生じそうだinajob.icon
癇癪の理由がわかるケースは、そちらを取り除く策は有効そうinajob.icon
空腹
睡眠不足
アルコール
低気圧(取り除けないけど・・)
このやり取りのメタ分析Summer498.icon
Summer498.iconは癇癪を起こさないような人間に成熟する必要があると言っている通り、癇癪を起こす人に対する成長・教育に視点を置いている ちなみにSummer498.iconは既に癇癪を起こす大人として成長してしまった人は無視している
inajob.iconはどちらかというと大人の癇癪持ちをイメージしていたinajob.icon
inajob.iconは既に癇癪を起こす人をどうするかという問題解決に視点をおいている(?)
c.f. 観測する限り、これは押さえられるタイプのように見えないinajob.icon
異議なしinajob.icon
thxSummer498.icon
自分が取れるアクションで、という限定をして考えているのかもinajob.icon
成長・教育でどうにかできるなら、それに越したことはないし、そういうことが出来る人もいるかもしれない
自分の子供(3歳)はもちろん癇癪を起こすことがあるinajob.icon
確かにこれをどうしようもないので環境でどうにかしよう、と思っているわけではないな
今はそういう時は相撲をすることを提案している(謎)
思い通りにいかないときに「むきー」となって物を投げるモードになることがある。気持ちはわかるので、「そういう時は、【ちびすけどっこい】やろう!」と、親と相撲を取ることを何度か提案した(そして親はわざと負ける)。
で、そんなことを何度かやっていると・・
「物を投げたくなってきたから、【ちびすけどっこい】をやる!!」と言い出した。
これがアンガーマネージメントだよ!
親と言い合いになった時、僕を笑わせるために親があえておかしなことを言っていたbiwa.icon
意図的かは知らないけど
おかげさまで、学校で起こった時も、途中で笑うようになった
同級生からは、なんで急に笑ってるんだ、少し引かれた
役割を固定すると、叱る側に話しかけづらくなるbiwa.icon
これは小学生の時の経験です。
話しかける前に、この前のアレはまだ怒ってないかなとか、話しかけたら説教が始まらないかな、とか、そういう心配をすることになる
その結果、心配だから話しかけない、みたいな選択をとりがちになる
これSummer498.icon
物事ではなく人に紐づけて学習してしまうSummer498.icon
子供目線だと「怖い人」と「優しい人」という風に学習してしまうSummer498.icon
人に紐づけて学習する弊害としては、"この人にバレなければ良い"と学習もしてしまう
+100Summer498.icontakker.iconRR.icon
本来なら、親は安心できる空間であるべきだと思うのだけれど、安心できない空間になってしまっている
割とストレス
親というか、実家 (親の居る空間)?Summer498.icon
実家とは限らないbiwa.icon
親がいれば、家でなくても、車内、ショッピングモール、公園、どこででも
そりゃそうかSummer498.icon
逆に親がいなければ、家でも安心できる