井戸端はコミュニティっぽいし違ってる気もする
taktamur.icon
直感的にはコミュニティであると思う
コミュニティは構成している人で成り立つもの、とまず思う
使うツールやPF、場所が変化しても、メンバーが変わらなければ多分同じコミュニティと言える
井戸端は、過去の記事や文章の積み上げがあり、その上で今の人が活動している
人が入れ替わり続けても、なんとなく「井戸端」は残るような気がしている
盛り上がりとか、空気感は変わるとしても
ここまで考えて「井戸端」はコミュニティではないのでは?とも思ったけど、「部活」という例を思いついた 人は入れ替わる
先輩が積み上がったものの上に、現役世代が積み上げていく
「部活」以外に良い例を思いつけなかった、、、
想像だけど、今いるメンバーが一斉に抜けて、別の人がやってきても、なんとなく「井戸端」的な活動が続くような気がしている
まず公園がある
次に人が来る。誰が来るのかは分からない。
公園に集まってる人をまとめて「xxxのコミュニティ」と言うのは少し変な感じもするけど、でも人と人との繋がりの場にはなってる
物理井戸端はまず井戸があって次に人がくるのでよく似ているnishio.icon 公園と同じく、井戸端もその日いる人々によって雰囲気が意外と変わるtakker.icon
なかったyosider.icon
井戸端の本体は「これまで積み上がった記事やテキスト」の方で、今井戸端にいる自分達は「記事やテキストをせっせと積み上げる、その時たまたまそこに居た人」に近しい、という感触
人がおまけで、記事やテキストの方が主体
大仰に言えば、井戸端の記事やテキストは、積み上がる事で「文化」とか「歴史」とかになるのだろうか?
そう思うsta.icon
なので人が第一と捉えてる人は面食らう気がするし、そこを見定めるためにROM期間が長くなりがちなのかも
「あなたに興味があるんじゃない、あなたが出す情報に興味があるのだ」的な?
ブックカタリスト ゲスト回BC111えむおーさんと『庭の話』の回で、「庭」の条件みたいな話が印象に残ったmeganii.icon
関与できるが支配できない
半分開かれている
事物とのコミュニケーション
井戸端は庭といっても面白そうmeganii.icon ページ作成・更新することで関与はできるが、支配はできない
プロジェクト自体は公開されているが、参加するには招待リンクを踏まないといけない半分開かれた状態
実は人とコミュニケーションを取っているわけではなく、ひとりひとりが独白することで、環境である事物とコミュニケーションを取っている
関係ないがこのページのタイトルが和歌っぽいので数日前から気になっているcak.icon
井戸端はコミュニティっぽい気もするがどうも違っていそうな気もする