事後諸葛亮
事後
諸葛亮
(
事后诸葛亮
)とは、「
だろうと思った
」「
そら見たことか
」等と、後になってから、初めて以前から知っていたかのように
口出し
する人を指す中国語圏の
スラング
である。
事後諸葛
、
事後孔明
とも。
行為の後にベッド際でタバコをふかしている諸葛亮ではない。
(中略)
余談だが、「これは
孔明の罠
なのでは?」などといろいろ事前に考えて不安になってしまうことを「
事前司馬懿
」と呼ぶ動きもあるようだ。恐らく
横山三国志
の影響と思われる。
事後諸葛亮とは (ジゴショカツリョウとは) 単語記事 - ニコニコ大百科
後出し孔明
とも言う
「薄い本のことかと思った」 “事後諸葛亮”がトレンド入り「語感が良くて好き」「積極的に使っていきたい」などの声も(1/2) | IT・科学 ねとらぼ調査隊
関連項目
後知恵
、
後講釈
結果論
認知バイアス
後知恵バイアス
(
後知恵バイアス - Wikipedia
)
言わんこっちゃない
素人は黙っとれ――
スートル、ネ・ウルトラ・クレピダム
やると思った
やはりそういうことか!