世界の見え方が根本的に変わった経験
個人的には「距離空間」の概念が僕の世界の見え方を変えたと思うnishio.icon これはつまり「距離は一通りではない」ということと「距離が常にあるものではない」ということが衝撃だった
もっと具体的には博士課程のテーマでゲノム配列のパターンをクラスタリングしようとしてたんだけど、この「パターン」に対して素朴に思っていた「類似性」(=距離)が成立しないのでクラスタリングできない(=やるなら天下り的に距離を押し付けなければならない)ということに実験結果が芳しくない理由を探っていて気づいたのが衝撃だった
ユークリッド距離以外の距離も定義して…いいんだ?!となった記憶がある基素.iconblu3mo.icon これまで摂取してきたものは誰かが調理したものであって、生(き)のものではないという感覚
句読点とか漢字の付け方は校注者の判断に基づく
このあと「活字で書かれたもの」の向こうに誰かの仕事を想像できるようになった
万葉集の歌で未だに読み方がわからなくて困っている歌がいくつもあると知ったときとかも衝撃だった
これは一時に稲妻を受けるような変化ではなく、徐々に言葉になっていって醸成された感じがある
ゆるやかな転回
これは詳細になったということで、変わった話ではないのかな?
世界というほどではないかもしれないけれど、読書(文学)ならイタロー.icon
花が盗まれたという話だった
花を認識することができて世界はこんなに美しかったんだ…となった
すごくいいcFQ2f7LRuLYP.iconnishio.iconyuyuko.icon
数値があるときに、素朴にその数値があると思い込んでいたが、実際にはそれは代表値とか、単なる1サンプルに過ぎず、本当は確率分布がある そう考えると「知らない」は非実在になる、単なる尖り方の違いに過ぎず全部確率分布
環世界という言葉からこの概念を知ったわけではないが、多分適切なラベルは環世界
今は課題締め切り直前なので後で詳細を書くblu3mo.icon
コンピュータのディスプレイが60Hzで動いていることに気づいたとき基素.icon
マウスのポインタがなぜ動くのか漠然と疑問を持っていた
1秒間に60回も映像をかきかえてるって…コト???!!
透視図を使うと三次元の絵を二次元の紙に正確にうつせるみたいな、どんな処理を入れるとどんな表現になるという大量の実例
感覚をロジカルにコントロールできる衝撃
作り方が想像もつかないものが地道な積み上げだと認知したこともふくまれる
最近だと音楽理論
もっと具体的に書けるはずだけどどうだったかな
気づきの数だけ上手くなれるので、「根本的に見方が変わる」を繰り返している気もする
普段よく形を見ていないことに気づく
踏切警報機の三次元的な形をざっくり描けるか?
猫の形をとれる?
単純な運動方程式でこの世のものが記述できることへの驚き
しかも、適当な数値を入れてシミュレーションできる。現実ではできない設定を簡単に検証できる
数学の実学応用もこの感動があった気がする
古典力学以外にも物理はこの驚きがたくさんある
理論的にはこうだ、という確かさがうれしい
たしかさだと数学の方が上なんだけど、抽象的すぎると感じることがよくあるので感動に至らないこともある
とてもわかるtakker.icon
やらなくちゃいけないと思っていたことが、やらなくていいんだと見方が変わる衝撃
今一周して、やっぱりしっかり腰を据えて書いた方が良いケースもある、というのを体感してるinajob.icon
いくつもあるが、Summer498.icon
自分の中での世界の見え方が変わった体験も多くは思い出せない
当のその議論も詳細には思い出せない
工学なんでね……。
それをキッカケに、理論というものそのものについてと、真実について、信頼性について考えたら実証主義・成果主義寄りになった 研究室では生きやすくなった気がする
それ以来、指数関数的成長曲線は資源が無限にある前提でないと成立しないだろうと思っている
「無駄に頑張ろうとしない」と言う選択肢の重要性に気づいた
ちなみに、頭を強く打ったはニュースの隠語の方ではない。痛かったけどそんな大事ではない
インパクトの瞬間は全く痛みがなかった
もし、即死するようなことがあったら、その痛みがないままいつの間にか人生が終わっているのだろうと思った。
死ぬ瞬間は全く痛みがないとしても不思議ではないと思った
死への恐怖感は和らいだ
あまり世界全体が一気に変わったということはない気がする。じわじわ変わっていくのはわかるはるひ.icon
ゲーム
何かゲームを遊んだときではなく開発者による或いは開発者視点でゲームの面白さとはこうだ!みたいな設計思想を語ったコラムを買ってもらったゲーム雑誌で読んでそれ以降ゲームの見え方が変わったということが2回ある。小学生時代
内発的動機づけ
ニンドリだった。ゲームのちょっと難しいハナシ みたいな名前のコラムだった気がする。違うかもしれない 桜井政博のリスクとリターン
これはファミ通だろうな
そこから10年くらいゲームの何が面白くて何がおもしろくないかということに思考リソースの多くを費やしてた気がする。そういう意味では世界の見え方が変わっていたのかもしれない。今はそういうことにあまり興味がなくなった。あと不思議なことにゲーム開発にも一切興味がなかった。情報収集の結果早々に地味そうだというイメージを持ってたのかもしれない
井戸端は昔話の筆がよく乗る
yuyuko.icon
小学生のころ
自分以外の人間にも心があり、生まれてからそれまでの人生があるのだと気づいたとき
お母さんにも「子どもの頃」があったの?? まじ??
お母さんが「お母さん」でなかったときがあるなんて、それまで思いつきもしなかった
おばあちゃんにも子どもの頃が!?!!?
地球にいる60億人に、みんな心がある……(このへんで気が遠くなる)
+1RR.icon
誰にでも感情があることは知っていたけれど、あるときその感情に自分が感じているのと同じような実感(クオリア?)が伴うと理解した
タスクを全部並べてそれ見ながら過ごすことで生活が回ってしまうという衝撃
論理と概念の世界が見えるようになった感じ
個人的には新たな自然言語を知った以上のインパクト
階層的組織が絶対ではないのだと気付かされた
世界はこんなにも遊び場で溢れているのだということ
生き方や向き合い方といった哲学を自分で決めていいのだということ
utanaka.icon
5年ほど前
表に、トピックの名前と内容とつながっている他のトピックを入れると、マインドマップみたいなUIに反映されて、逆もできて(マインドマップみたいなのを書くと、表に反映することもできる)、その表/マップを使って動的にチャットボット的なアプリができるという機構の素案を作っているとき
トピックのつながりが、今のところないことを表現するために、仮にnullと書いた
そのnullが、いまのところない状態でもありながら、どんなトピックにも、どんなトピックの組み合わせにもなり得ることに気がついたとき、えっ?となった
無限にトピック追加できると考えると、そのnullがすべての可能性をあらわしているんじゃないかと思い、ぞわぞわした
また、なんらかのトピックも、他のマップにおいてはnullであることもあるので、すべての個々のトピックも、それぞれすべての可能性をあらわしているんじゃないかと思い、あー、となった。
なお、この機構でやろうとしていたことは、ScrapboxとHelpfeelでできることに後に気づく
自分がゲイだと気づいたときnejimaki.icon
ほんとにシックスセンス的経験だった
自分の中のモヤモヤのすべての辻褄が合って、一晩寝こんだほど。
根本的には変わったが、スッキリと転換した覚えはないsume.icon
新しく見えた部分の規模、途方もなさそうに見える領域の広さに打ちのめされ途方にくれて恐怖する
若い頃初めて経験した時は少し震えたり泣いたりもした
2度目以降は、あまり待ち望んでない古い友と再会したような諦念でなんとかする
主に今まで使ってきた手法から新しい体系へ移るとき、強い無力感と共に感じる
プログラミングを学んでいたという前段階はあるけれど、記号的に思考する仕方を知った時は、世界の見え方というか、思考の仕方が変わった気がする
本の分からなかった箇所が分かるようになったとき、その本以外のことも全部変わった久住哲.icon
---
とても好きなページblu3mo.icon
良い問いかけ