ハヤシライスはうまいのか
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「(食材/料理)っておいしいよね」、みたいな言い方がいまいち理解できていない(唐突)はるひ.icon
おいしく作ればなんでもおいしいしまずく作ればなんでもまずいのでは?
どれだけおいしく作っても食べた人がまずいものはまずいmtane0412.icon
味を決めるのは食べた人の神経系
反抗期の頃、ここの店の料理がおいしいですよと親に言われてそんな事言われても俺がどう感じるかはわからんだろうとブチギレた事があったな
そうかも。大体カレーはおいしくなりやすいと思っていそうcFQ2f7LRuLYP.icon
春がなんとなく好きという感じに似てるかもしれない
細かく見ていくと花粉症とか許せん要素があるが
個人的には違うmtane0412.icon
単に「私はハヤシライスはうまいと感じている」という主観を表明している 僕はこれに+1nishio.icon
「おいしいよね」みたいな言い方に顕著だけど相手の主観も確認している
なので「すべてのハヤシライスはうまい」とか「ハヤシライスをおいしいと感じる人がおおい」というステートメントではない
個別の料理のうまいまずいはあんまり問題にしていないcFQ2f7LRuLYP.icon
好物であったらうまいと書いてそう
全く意味がわからないはるひ.icon
ハヤシライス問題として哲学史に刻んでいくmtane0412.icon
料理に対する感受性の差がある?cFQ2f7LRuLYP.icon
cFQ2f7LRuLYP.iconはあまり「調理」による差を価値判断に入れてない気がする
外食あまりしたことない
個人的には昔実家で夏にらっきょうと一緒に食べた牛肉と玉ねぎとグリンピースが入ったハヤシライスの感覚が思い起こされてうまいと感じるyosider.icon
ハヤシライスを食べる頻度や食べた種類が少ない人と、頻繁に・いろんなハヤシライスを食べる人とで、個別の料理に紐づくかが変わる可能性
変な例えだけど、「ロックがだいたい好き」みたいな主張に見えてる?cFQ2f7LRuLYP.icon
個別のバンドやアーティストやアルバムに対しての判断を特に言ってない状態
私の食べたハヤシライスはだいたいうまかった(経験判断?)wogikaze.icon
少なくとも「ハヤシライスっておいしいよね」の文意は「まずいハヤシライスもある」ことで失われない感じはあるshiganana.icon
この世全てのハヤシライスがすべからくおいしいものである、と言っているわけではない
「ハヤシライス好きなんだよね」とほぼ同義で使っているのかも?
これだと「多くの人がハヤシライスをおいしいと感じるであろう」みたいなニュアンスが抜け落ちてるか
暗黙的に平均的な(ないし平均以上の)出来栄えであることを含意している?
そうでない場合「ハヤシライスってどう作ってもまずくならないよね」になる気がする
これはありそうyosider.icon
不味い出来の場合にどう感じるかということに興味を置いていない、ので出来について言及されていないyosider.icon
使われなさそうなリンクだ
ハヤシライス
うまい
まずい
調理による
↑こういう投票があったときにcFQ2f7LRuLYP.iconは「うまい」か「まずい」に入れる
個々のハヤシライスは頭に浮かばず、総じてその料理が好きか(おいしく思うか)で決めてる
ハヤシライスは好きなので「うまい」に一票
「まずい」は強めの拒否感ある。「苦手」にしたい
まずいとか苦手は「どんなにうまく調理されていても」という前提を感じるyosider.icon
この選択肢だと僕は「ものによる」を選びそうnishio.icon
調理によるに入れてどんな調理がうまいかを書いていくのも楽しそうyosider.icon
ただその「うまい」は「まずくない」というよりはもう1段階上のうまさを追求していそう
ベースの時点ですでにうまくはある
こう聞かれると「うまい」に入れそうだな…はるひ.icon
うんこは「まずい」に入れそう
こういうブレの少なさに信頼をおいている時に一段抽象的なおいしさの主張ができるかはるひ.icon
「〇〇食品のソースのハヤシライスがおいしい」わかる
ここの洋食屋のハヤシライスがおいしいんだよ、もわかると思う
どこどこでとれる魚が、野菜が、もまあわかるか
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友人Aと神やニーチェがよく通っている居酒屋で飲んでいたら、デカルト、フッサール、メルロ・ポンティの3人が偶然入ってきました。せっかくなので一緒に飲んでいた途中、私は何気ない雑談で「ハヤシライスっておいしいよね」と口走ったところ、友人Aは「料理や食材をおいしいというのがよくわからない。おいしくつくればおいしいし、まずくつくればまずいのでは?」と言いました。すると、著名な哲学者の3人は私達にこの会話を現象学的な視点から解説してくれました。 居酒屋での会話の続きを作成してください。
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デカルトは最初に口を開きました。「あなたの友人Aは感覚的な体験、つまり味を感じることについて、それが個々の行為とその結果から分離されているという意識を持っているようだ。だが、実際にはそれらは深く結びついており、分離することはできない。同じ料理でも調理方法により味が変わるのだから、料理という行為そのものに味わいがあるとも言える。」 次にフッサールが話しました。「デカルトの指摘を受けて、私たちはあらゆる経験を無意識のうちに解釈し、それを通じて現象を理解している。"ハヤシライスがおいしい"という言明は、味覚の感覚、食べる行為、そして過去の食事の記憶との関連性など、その現象が私たちにどのように映るかを反映している。そして、それらは私たちが主観的に経験する世界を構築する。」 最後にメルロ・ポンティが付け加えました。「それを一歩進めると、"おいしい"という経験は個々人の身体性にも深く関わっている。私たちは自分の身体を通じて世界を経験し、解釈する。ハヤシライスがおいしいと感じるのも、その味を受け入れる身体があるからだ。そしてそれは私たちの存在の一部となる。したがって、料理とは単なる物質的なプロセス以上のもので、私たちの世界観や身体性に根ざした経験の一部となっている。」 友人Aは一瞬困惑した顔をした後、満足そうに頷きました。「なるほど、料理を作る行為、食べる行為、それらが呼び起こす感情や記憶。それら全てが一緒になって"おいしい"という経験を作り出すんだね。それなら、確かに料理や食材自体を切り離して考えることは無理があるかもしれない。」 困惑するところに共感するwnishio.icon
みんなで笑いながら、再びビールを乾杯しました。それぞれの視点から見えてくる「おいしい」の意味。その深さと広がりを楽しむ、そんな一夜となりました。
全然わからんけどなんか楽しそうでよかったmtane0412.icon
ハヤシライス食えyosider.icon
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下記の議論Xを参照して発言者ごと意見の要約を生成せよ。行末のX.iconは発言者Xを示す。発言者の書いていない行はその上の行と同じ発言者である。
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gpt-4.icon以下は議論Xにおける発言者ごとの意見の要約です。
はるひ: ある料理を一律に「おいしい」と言うのは価値判断だと思っており、すべてのハヤシライスがうまいとは限らないと指摘しています。また、個々の料理の「うまい」「まずい」についてはあまり問題にしないと述べています。全体的な議論には興味深さを感じているようですが、「好物であったらうまいと書いてそう」という発言には理解できないと述べています。
mtane0412.icon: 食べた人が感じる味が最終的に料理の評価を決定すると述べています。また、「ハヤシライスはうまい」の発言は、単に自分の主観を表明しているだけで、他人の主観も確認していると解釈しています。それは情報伝達ではなく、「間主観性」を得るための行為だと語りました。議論が進むにつれて、「ハヤシライス問題」として哲学的な観点から考察しています。
cFQ2f7LRuLYP.icon: 「ハヤシライスはうまい」の意見は、ハヤシライスが「うまくなりやすい」という傾向を示すものかもしれないと提案しています。料理に対する感受性の差についても触れていますが、調理の差はあまり考慮していないと述べています。また、「ハヤシライス」に対する評価は、「ロックがだいたい好き」のような一般的な好みを表すものと理解しています。
nishio.icon: 「私はハヤシライスはうまいと感じている」という主観を表明する立場に賛同しています。議論全体が面白いと感じており、もっと続けることを推奨しています。また、うまい・まずいの投票があった場合、彼は「ものによる」を選びそうだと述べています。 wogikaze.icon: 自身が食べたハヤシライスはおいしいと感じていると述べています。
shiganana.icon: 「ハヤシライスっておいしいよね」は「全てのハヤシライスがおいしい」という意味ではなく、「ハヤシライス好きなんだよね」とほぼ同義であると提案しています。また、このフレーズが平均以上のハヤシライスの出来栄えを暗黙的に含意しているとの見解を示しています。
inajob.icon: 皿うどんについて、「どう調理しても美味しいので好き」という持論があると述べています。
nishio.icon次にその要約が過去の哲学者の誰に近いか判定し、その哲学者の名前と、なぜ近いのかを解説せよ。
gpt-4.iconこの議諔 (GPT語録)は、主観的な感じ方や価値判断についての探求であるため、それらは個々の哲学者の考えに一部当てはまる可能性があります。しかし、誰一人として全体的な議論をカバーする哲学者がいるわけではありません。 議諔ってなに!?はるひ.icon
はるひ: この考え方は経験主義者のジョン・ロックに近いかもしれません。ロックは、我々の知識が経験に基づいていると主張しました。はるひの見解は、ハヤシライスの「美味しさ」について個々の経験に基づいて判断するという考え方を反映しています。 「個別のハヤシライスのうまさ」は存在するが、個別の事例に結びついていない抽象的な「ハヤシライスのうまさ」は存在しない、という立場なわけかnishio.icon
なるほどcFQ2f7LRuLYP.icon
他の人達だと「彼」なのにはるひさんだけ「はるひ」になっとるcFQ2f7LRuLYP.icon
mtane0412.icon: 彼の議論はフリードリヒ・ニーチェの哲学に近いと言えます。ニーチェは主観性と個々の解釈の重要性を強調しました。mtane0412.iconの見解も、「食べた人が感じる味」や「間主観性」を強調しています。 こちらは「個別のハヤシライスのうまさ」も客観的に実在するのではなく、個人の主観であって、「ハヤシライスうまい」という発言は主観を共有して間主観を構築しようとする行為だという立場かnishio.icon cFQ2f7LRuLYP.icon: 彼の意見は、認識論における現象論の影響を受けているかもしれません。現象論者は、我々が経験する物事が主観的な認識によって形成されると主張します。cFQ2f7LRuLYP.iconはハヤシライスを「うまくなりやすい」という主観的な感じ方を表現しています。 認識論における現象論だったか〜cFQ2f7LRuLYP.icon
オウム返ししただけ🦜
「うまい」という主観で考えてるのはそう
「ロックがだいたい好き」という主観によって「ロック」が形成される!現象論!nishio.icon
「ハヤシライスがうまい」という主観が私の「ハヤシライス」を形成してるってことかcFQ2f7LRuLYP.icon
この哲学は、事物の真実性や意義をその実用的な結果によって判断します。
ハヤシライスがうまいかどうかはさておき議論が「面白い」という意味で僕個人に有益だからもっと議論すべきだと煽ってるので、まさにプラグマティズムだなnishio.icon
nishio.iconは「うまい」か「まずい」かの判断を、その結果が具体的にどのように影響を及ぼすか(つまり、自分がどの選択をするか)によって決定すると述べています。
うまいという結論になるのかまずいという結論になるのかどちらでもいいと思ってるのがバレてるnishio.icon
wogikaze.icon & shiganana.icon: 彼らの見解は存在論的な観点から見ると、マルティン・ハイデガーの考えに近いと言えます。ハイデガーは、存在の解釈は個々の経験によるものであると強調しています。これらの発言者は、ハヤシライスについての意見が個々の経験によるものであると主張しています。 これは「あえて言うなら」的な雰囲気を感じるnishio.icon
inajob.icon: 彼の発言は、何が「美味しい」かについての普遍的な基準を提供することで、プラトンの理念論に近いかもしれません。プラトンは、全ての事物には普遍的な「理念」または「形相」が存在すると主張しました。inajob.iconは皿うどんについて、「どう調理しても美味しい」という一種の普遍的な基準を提供しています。
ウケる、皿うどんは普遍的に美味しいイデア的存在wnishio.iconinajob.icon