インダス文明
紀元前2600年から紀元前1800年
初期食料生産期
初期の農業は半遊牧民が行い、コムギ、オオムギを栽培、ヒツジ、ヤギ、ウシを飼う。
泥製の住居群は4つの区画に分かれ、
多数の埋葬跡、籠、石器、骨器、ビーズ、腕輪、ペンダント等の副葬品、時折動物の生贄も見つかる。
一般に男性の方が副葬品が多い。
貝殻(海のもの)、石灰岩、トルコ石、ラピスラズリ、砂岩、磨いた銅などが装飾品として使われ、女性や動物の原始的な像も見つかる。
海の貝殻や付近では産出しないラピスラズリ(アフガニスタン北東部で算出)が見つかり、それらの地域の交流がわかる。
石斧が1つ副葬品として見つかった。
地表に近いところからも石斧がいくつか見つかった。
領域形成期(紀元前5500年 - 紀元前2600年)
統合期(紀元前2600年 - 紀元前1900年)
狭義のインダス文明はこの統合期を指す。
滅亡(紀元前2000から紀元前1900年頃)
都市が突如使われなくなる。
インダス文明が存在した地域は現在砂漠となっている。
インダス文明が消えたのは、この砂漠化によるのではないかという説。
衰退後の植物相や動物相に大きな変化が見られないため、気候の変動を重視する説は見直されている。 「排水溝」も25ミリの雨でも保たない構造で、
煉瓦を焼くにも現在遺跡の周辺で茂る成長の早いタマリスクなどの潅木でも充分間に合ったのではないかという反論があり、 乾燥化説は決定的な説となってはいない。
気候変動説
気候変動によってインダス文明が衰退したとする説
こうしたモンスーン変動がインダス文明の地域にも影響を与えたとされる。
虐殺説
発掘調査によって埋葬もされずに折り重なる夥しい人骨を確認。
外部からの侵入による虐殺説が唱えられた。
しかし、当時の発掘調査は、層位関係を考えずに地表からの深さのみを記録して行われた調査であったために同時期の人骨ではなかった。
その他、虐殺跡とされた人骨には外傷の形跡がなく、
『リグ・ヴェーダ』の記述の史実性にも問題が指摘され、現在では否定。
滅亡後の地方化期(紀元前1900年 - 紀元前1300年)
以前はハラッパー文化だった都市がヴェーダ期(紀元前1700年 - 紀元前1100年)にH墓地文化となった事を示す墓地が発見される。 この墓地から火葬の跡を発見、この文化からヴェーダの宗教(紀元前1000年 - 紀元前500年)が形成されたと考えられている。