どんな字病
mtane0412.iconさんが書いてて、調べて初めて知ったcFQ2f7LRuLYP_black.icon
自分自身、どんな字病みたいなことをやっているかもしれない。もうちょっと問題とされる箇所についてわかっておきたい 現況
一つの和語でも、色々な漢字で出てくることは知っている
和語と漢字とは一対一対応ではない
柳田国男が釘を差しているのはどういう行為か?
ある和語があったとき、「これはどんな漢字があてはまるか?」と問うことだろうか
大和言葉は隣国の中国から漢字を借り入れたことによって微妙な意味の差を漢字で表現できるようになった。例えば、「なく」を漢字で書くと、「泣く」、「啼く」、「鳴く」のどれかを使うことによって微妙な意味の差を表現できる。一方で、中国文学者の高島俊男は、大和言葉に漢字を当てるのはおかしく、例えば、「とる」の意味は大和言葉では1つなのであり、「取る」、「採る」、「捕る」、「執る」、「摂る」、「撮る」と書き分けるのは無意味であると主張している。 高島俊男『漢字と日本人』(初版)文藝春秋〈文春新書〉(原著2001年10月20日)、pp. 86-88 意味は一つというのがもやる。どういうニュアンスで言っているのか押さえたい
「取る」、「採る」、「捕る」、「執る」、「摂る」、「撮る」などの言葉の意味が渾然としてなすところの意味、なら飲みみこめる
校訂者のつけた漢字に引っ張られて解釈してしまうことはよくあるので、この主張のいうことは理解できる
漢字で和語の意味を固定しにかかるような感じ
民俗学者の柳田國男は、大和言葉にどのような漢字を書くのか尋ねることを「どんな字病」と名付け、警告した。 出典元読みたい
^ 中西 2003, p. 15.
この柳田国男さんの「どんな字病」の出典がわからない、というお話があるそう。「節用禍」の出典はわかるのだけれど。内容はおなじ感じがします。もししっているひとがいたら。 この人が紹介しているのは
1939年における「少年少女の国語学習」について
柳田國男は「どんな字病」と名付け、警告したとあるが、いったいどんな本なのか?
最近はパソコンですぐに難しい漢字が出てくるためになおさら安易に漢字を多用する傾向があるといわれている。
^ 中西 2003, pp. 215–216.
当て字とか?忍者と極道などcFQ2f7LRuLYP_black.icon
多分当て字じゃなくて、此れとか其れとか、然しまあ色々あるものだSummer498.icon
尤も、此の様に沢山漢字を使っても読み辛いだけだがね
或いは、読ませる気が無いか
あーなるほど。いらんところに漢字を使うcFQ2f7LRuLYP_black.icon
ここを成程とかね!
国文学者の中西進は、漢字依存が大和言葉のもつ本来の意味を失わせてしまい、例えば、「かく」に「書く」、「描く」などと漢字を変えて区別するようになったことにより、縄文土器を製作する際、柔らかい粘土を先の尖った物で引っ掻いて模様を描くことからわかるように、掻いて表面の土や石を欠くという「かく」の本来の意味がわかりにくくなったと指摘している。 ^ 中西 2003, pp. 216–217.
漢字の字義に関しては中国からたくさんの字書や仏典類が来てたし、かえって和語の意味そのままが残ってはいないわけですねcFQ2f7LRuLYP_black.icon
そもそも文字がなかったので、言葉の表記には外国語の文字である漢字を頼らざるを得なかった
その苦労と工夫の跡が万葉仮名に表れている
そうか、意味的にはひらがなが大和言葉を表すけどひらがなは漢字からできているのか、色々逆転しているはるひ.icon
とりかえばや物語cFQ2f7LRuLYP_black.icon
読んだ人の感想があった
目と芽(め)/鼻と花と端(はな)/耳(みみ)と実(み)/歯と葉(は)/頬(ほほ)と穂(ほ) は全て同じことば
そうなんですか?とちょっと不安になる