「出版か死か」の呪縛
「出版か死か(Publish or Perish)」の呪縛から研究と研究者を解き放つための挑戦 | 京都大学からはじめる研究者の歩きかた
かつては研究を促進し牽引する役割を担っていたジャーナルの存在が特定媒体の偏重やインパクトファクターの過度な重視による研究の歪みを招いている。
インパクトファクター
質を保証しつつ素早く研究成果を公開する仕組みをいかに実現するか。
ジャーナルから研究を切り離すことで新たな成果公開と研究評価の仕組みを構築したレベッカ・ローレンス氏にうかがった。
F1000
いまだに研究者の多くが、評価や資金を得るために、ある特定の媒体で特定のタイプの論文を発表したり、出版物を刊行したりする必要があるという考えに凝り固まっていて、それが研究行動を歪めています。
デジタル時代においては、読み手が研究成果を探す際にジャーナルの存在はもはや不要
研究結果をすぐに広く伝えられる仕組み(が必要)
評価とキュレーションは、公開・出版後に別々に行う
arXivとかで公開しておいて、「評価とキュレーション」のためにジャーナルにも投稿するというやり方ではダメ?yosider.icon
ビル&メリンダ・ゲイツ財団やWHOなど...公開・出版された成果物が引用可能になって、DOIなどによって追跡できるようになることを切望しています。
たとえばバージョン管理が可能なシステムがあれば、そこに学術書を登録して章ごとに公開して、適切と思われるタイミングで章を更新する。つまり「生きている本」をインターネット上で公開することができるわけです。
Scrapboxと融合できないかな〜
助成金の支出を決定する審査委員会の場でスタッフが方針を明確に示し、「特定の雑誌に載った業績を強調することは研究者が本来すべきことではない」といくら主張しても、審査する側はその姿勢を変えません。
ここで注目すべきなのは、審査される側も審査する側もともに研究者で、ある程度重なっているという事実です。彼らは自分たちがされた審査を、審査する側になったらやり返そうとする傾向がある。若手研究者の大多数はこのシステムの変更に熱心ですが、シニア研究者は一部をのぞいてそうでもない。シニア研究者に対する教育も必要だと思います。
「出版か死か」の呪縛
出版か死か
Publish or Perish
死んだテキストを置いておく倉庫