「今その話じゃない」という言葉
「今その話じゃない」という言葉
元の文脈とは全く関係ないが「今その話じゃない」という言葉?概念?自体に興味がある久住哲.icon 面白いnishio.icon
言いたい時あるけど、たいてい言えないkidooom.icon
言われることがあるけど、自分の対応の仕方が下手だと思っているinajob.icon
よく言われる、すみませんしているcFQ2f7LRuLYP.icon
この発言が成立するための前提条件あるいは確認事項(見出し未定)
その時その場で何が話されているかという「事実」は語り手(より正確には直前に語っていた人)の意図により決定される という前提がある久住哲.icon
この前提が正しいかどうかは保留
なぜ事実の語に鉤括弧が付いているか
会話あるいは発話において何が事実であるかを決定する方法は幾通りかあるから
ひとつの時間(これはなに?)にはひとつの話をするべきだという規範が前提されている久住哲.icon
この規範からの帰結
この規範が共に共有されてあるから、「今は〜の話だ」「今は〜の話をしている」という断定によって、「今は〜の話をするべきであって、それとは別な話をするべきではない」ということを意味できる
例えばScrapboxの場合、「今」で名指されていたものがリアルタイムの会話におけるものとは異なる意味を持つ可能性が高いので、常識すぎるその規範が通用しない可能性がある
例えば、「今」という言葉は〈この文の下にインデントでぶら下げられた領域では〉という意味を持つかもしれない。言うまでもなくこれは会話における「今」という言葉とは全く指示対象が異なる。
Scrapboxでもリアルタイムで同時編集することはあり、通常の意味で「今」という言葉が使われることもあるだろう。
「ひとつの時間」これはなに?
おそらく、そういう時間が有る(存在する)んだと考えてしまうと、永遠に間違える。
ある人が「今はこの話をしているけど、この話が終わったら、別な話をしていいよ」と言ったとき、彼が言う「この話」がはじまってから終わるまでの時間が「ひとつ」と数えられ、「別な話をしていい」時間は、ふたつめの時間と数えられる。と、仮にこう考えた場合、この仮定のなかではふたつの時間が考えられている。
(語り手および聞き手が)今何を話すべきかを評価するための基準には2つ3つある久住哲.icon
語り手の意図
話された言葉ないし概念それ自体が持つ規則
例えば
「50%OFFです!」と言いながら値下げ率が50%より低かった場合、50%OFFを宣言した人が「私は『50%OFF』という言葉でもって30%OFFということを言いたかったんです」と弁解したところで、そうは問屋が卸さない このとき、「すみません、あなたの意図に気が付かなくて……私がそれを察せなかったのが悪かったですよね……」と言う人は、割引宣言した人の意図を、その人の発言それ自体が持つ規範性(※)よりも優先している。
※:〈50%OFFと言ったのに50%OFFの金額で取引しないのはおかしい〉という妥当性(?)の評価は、宣言者の意図によるものではなく、むしろ、50%OFFという概念にもとづいて行なわれている
草.iconSummer498.icon
でも笑える例になるかどうかの境界線が何処にあるんだろう
ガンパレード・オーケストラ青の章みたいな逸話だcFQ2f7LRuLYP.icon
「青の章」では今まで割高だった人型戦車の戦力予算値が半分になると雑誌等で公表されていた。だが実際には据え置きかむしろ物によっては微増すらしていた。
当然ユーザーは「半分になっていないじゃないか」と掲示板で抗議したのだが、これに対するスタッフの回答が
「人型戦車の運用できる武器が増えたので、開発当初は戦力予算値を2倍にする予定だった。だが検討の結果その半分にすることにした」
というものであった。
つまり「これまでの半分」とは「前作の半分」ではなくて「開発段階の半分」だった、ということになる。
だが、次の言い方がされた場合、どうか久住哲.icon
「うわ!ごめんなさい!3と5を書き間違えました。3と5って形が似てますよね💦ほら、チラシの方には30%OFFって書いてあって……。うぅ、すみません、言い間違えちゃったんです……。なので50%OFFでお売りすることはできないのですが……」
この場合でも、私は『50%OFF』という言葉でもって30%OFFということを言いたかったんですと言えるだろう。
こう言われたとき、「いや、50%OFFって言っただろうが!だから買おうって思ってこうして持ってきたんだよ!俺の『楽しみだな〜』って気持ちをどうしてくれるんだ!50%って言ったんだから50%で売れよ!」と迫る人もいるかもしれない。
こういうとき、自分ならば、「そういうことだったんですか……じゃあ30%OFFで買います」と言うか「そうですか。50%OFFじゃないなら買いません」と言うか、どちらかを選択すると思う久住哲.icon
「とにかく私は『50%OFF』という言葉で30%OFFを意味してたんだい!」と「主観的な態度の領域に閉じこも」るのも、「たしかに『50%OFF』って言ったやろがい!」と「行為者の主観的態度が規範を考慮に入れたものであるということを正当に評価」しないまま言質をもとに迫るのも、ともになにかおかしい久住哲.icon
規範的態度は、常に正しいわけではない。主張は偽であることもあるし、行為は意図したのと違う結果になることもある。この分裂は避けられない。/この避けられない分裂をそのまま固定化させ、「これが正しいと思った」や「そんなことは意図していなかった」と述べて主観的な態度の領域に閉じこもり、客観的な評価を受け入れない態度は「疎外」と言われる。/認識主体ないし行為者本人ではなく、その認識や行為を評価する側が、行為者の主観的態度が規範を考慮に入れたものであるということを正当に評価しない場合もあり、これも「疎外」と言われる。
疎外を克服するために必要なのが、ヘーゲルの用語を借用して展開される「告白」と「赦し」のプロセスである。/「告白」とは、自分の意図したことと行為の帰結にずれが生じることや、正しいと信じたことと実際に正しいことの間にずれが生じることを認めて、他者に判断を委ねる態度を指す。/「赦し」とは、他者の信念や行為が原則として規範に従っており、それゆえ正しいと認めることを指す。
悪しき例としては、「そんな服装だから痴漢される」がある
注
この例は「言葉」とは関係がない。
〈〜すべきだ〉と〈〜していい〉とのあいだには不均衡がある
「短いスカートを履いているのだから、触られたりじろじろ見られたりしていいと思っているってことだろう(だからしてもいいと思った)」という(おかしな)正当化をする人がいるかもしれない。
この人は(実際にはそこまで考えてないだろうけど)、人がする服装に規範的なメッセージ(※)を勝手に読みとり(より正確には、読み取ったと言い訳をし)、行動に移した
※:ここで「規範的」と言われるのは、それが〈〜していい〉という権利に関わるものだから。
この理屈のおかしさは、服装に宣言を見出したところであるように思われるかもしれないが、そうであるかどうかは分からない
この例ではまず間違いなく、その服装を選んだ人の意図が優先されるべきだろう
では、露出の多い服装をする子に「そんな格好をするな、はしたない」と叱る親がいた場合、子が「どんな格好をしたって、私がそれによって周囲に向けて何らかのメッセージを発することはないのだから、はしたないと言われる筋合いはない」と言い返した場合、これをどう考えればいいか。
あるいは、だらしない服装で買い物に出かけようとする子に「そんな格好で出かけるなんて恥ずかしい」と注意する親がいたとき、子が「でも心のなかでは全ての人に尊敬の意を抱いているし、心のなかの自分はビシッとスーツを着ている」と言い返してきた場合、これをどう考えればいいか。
起きている出来事や文脈それ自体が持つ規範
「そんなこと」
ある場面で言われ得る発言はいくつもあるが、それら全てが同等の「価値」を持っているわけではない。「そんなの今はどうだっていいだろ」と言われてもしかたがないような発言もある。
「今は」
物理的現象としてそこに起こっていることは、誰もそれに関わらなくてもその通りに起こっている。それが起こる瞬間瞬間のような時間は、ここで言われている「今」ではない。
ここで言われている「今」は、もっと言うと〈〜な場面である今〉であり、〈そこで何が起きているか〉について判断する人間を前提としている。
例えば、「今」は〈射たれた人が今にも毒で死のうとしている場面である今〉かもしれない。
ところで、〈そこで何が起きているか〉と〈今何が話されているか〉は似ている
どちらも「何?」という形の問いで問われるもの
久住哲.iconの感覚では、語り手の意図を優先する人が多い
「いや、そういう話はしていなくて……」という言葉が言われるとき、いくつかの場面が考えられる
聞き手(以下、Aさんとする。)が語り手(以下、Bさんとする。)の言わんとすることを正確に知りたいと思っていると、Bさんが想定するとき
ここでの「いやそうじゃなくて」はBさんからのAさんへの協力である
AさんはBさんから受けた否定を喜ぶだろう。Aさんの消去法の作業に進捗が見られたので。
具体的に想像できる場面:
A「Bさんが言いたいのはこれこれこうこうってことですかね?」
B「いや、ちがいます。そんなことは言ってません」
Aさんは、Bさんの言わんとすること(意図)を予想し、それを言語化してBさんに確認する。はじめから予想が当たることはあまりないので、多くの場合否定されるだろう。逆に、否定がないときのほうが「遠慮してるのかな?」「本心を伝える気がないな」という風に思われて、Aさんは、自身が持つ〈Bさんの言っていることを正確に理解したい〉という目標から自分が遠ざかったと感じることだろう。
Aさんが事象に即して適切なことを語ろうとしており、かつその意志をBさんに押しつけているとき
このとき、AさんはBさんの意図を重視しない
Aさんは、何事かを主張するBさんに対して「あなたの発言は今の状況に照らして非本質的だ」ということを伝えたいのだが、BさんはAさんのコメントを受けて、「いや、私はそんな(今の状況に照らして適切なことを言おうだなんて)ことはしようと思っていない」と言いたくなるだろう。Aさんはそれを受けて、「あなたがどうしたいかはどうでもよくて、とにかくそんなことは今問題にすべきじゃない」と言いたくなるだろう。
ここで何が起こっているか
AさんがBさんの話を評価(価値づけ)している
主張者Bさんの意図は蔑ろにされている。すなわち、「その主張には俎上に上げるだけの価値がない」という評価がくだされている
〈状況に照らしてより適切な言動〉みたいなものがあると想定されている
Aさんの前提:「自分は〈今何を問題にすべきか〉について知っている」
すなわち、自分はある言動が本質的でありある言動が非本質的だと選別できると思っている