Scrapboxうぬぼれ
自信過剰を意識して抑えることはとても難しいが、物理的に見えなくすることは簡単 ページ数が目に入ること自体がすごく少なくて考えたことなかったmtane0412.icon 個別ページだと見えないし
トップページでもめちゃくちゃ小さいのでほとんど気づかない
適度な距離感でデザインされてると思う
たまに気づけるくらいの存在感
数字が思ったより増えてたりすると嬉しいは嬉しい
指標として適切かはさておき、ある程度活動量が可視化される
書くモチベーションが上がって良い面もあるなyosider.icon
個人projectの場合、直近のページ数にどれだけの情報量入ってるかはなんとなくわかるものだし 同じく考えたことなかったmiyamonz.icon
むしろいっぱい書いてる割に、最初の頃の生産性?が出て無くて焦るというか不安?を覚える
いっぱい書いてるのにすごい成果物作れてないな~みたいな
最初の頃ほどあんまり書いていない気がして、生産性に不安を覚えてるtakker.icon
いやそれは当たり前か
人のproject見た時も、真っ先に右下に視線が走っちゃうのわかるyosider.iconsta.iconerniogi.icon
視線が走ることはあるけどそれでprojectを評価することはないなtakker.icon
2021-08-27 全っ然視線が走らないやtakker.icon
UserScriptを作ったり公開projectの統計をとったりするときぐらいしか見ない
あ、井戸端は毎日見てるな
といっても、単に見るだけで、それ以上何か特別なことを考えることは一切ない
逆にリンクがちゃんとしてるかどうかでよく評価してしまっている 数千ページあるのに、全くリンクが機能していなかったりタイトルから中身を推測できなかったりして魅力を感じないprojectを見かけることがある 一方で、数百ページほどでも、興味を引くタイトルのページが多かったり、文中リンクをちゃんと使っているprojectだと感心を覚える projectの中身とページ数が相関しているなら、ページ数で判断してしまうだろう
相関が引き起こす錯覚現象みたいな
実際には相関しないケースをそこそこ見知っているので、そういう錯覚に陥ることはない
確かにうぬぼれたとして、どんなデメリットが生じるのだろうか
まあ、人にはいろいろな考え方があって、一概には言えないのでしょうけど… suto3.icon
誤った評価(判断)をしてしまう
誤った判断をもとに、誤った行動をしてしまう
自分の醜い自意識が(言動に出るレベルまで)強化されていくってのはありますsta.icon 以下のような根拠ない自信が割と本気で固まってくる
俺は6000pageもつくってるんだぞ?
1年以上こね続けてんやぞ?
そこいらの奴より全然凄いぞ?いやマジで?
そしてその自意識が態度に出る
会社とかで「いや僕の方が実力あるし……」「僕、プライベートでScrapboxっての使ってて、6000ページ超えてるんすよ」「あなた達とは日頃の鍛錬量が違うんだ」とか言っちゃう(書いちゃう)
読書の冊数が、知性の根拠にならないのと同じ。
そういえば僕、昔は「僕は1000冊以上読んだぜ」とうぬぼれてたなぁ
パルクールのときも「この街の隅々まで把握したぜ」とか 「うぬぼれを持ちやすい人が、その根拠の一つとしてScrapboxを使っている」だけであって、
これかもしれない
「うぬぼれ」という表現がすでに評価を含んでいるように感じる 確かに、これ良くないなという気持ちが前提にあって付けた名前だったと思うyosider.icon
僕の場合「うぬぼれ」の源泉はページ数ではなく「個別ページではなくプロジェクト総体に対しての肯定的言及の数」だなnishio.icon
数はスクリプトを使って簡単に増やすことができるが、それでは肯定的言及は得られない
釣りエントリーを書けば1ページをバズらせることはできるがプロジェクトの総体に肯定的な評価を得ることはできない
とか考えながらTwitterで「西尾さんのScrapbox」で検索してみて眺めてニヤニヤしてから「これは麻薬では?」と思って慌てて閉じた
僕だったら堕ちてると思う(幸いまだ「吉良野すたさんのScrapbox」ではヒットしてくれないので堕ちずに済む)sta.icon