Scrapboxうぬぼれ?
自分のScrapboxにページがたくさんあることを根拠として、実力以上の自信を抱くこと
率直に言ってよくわからない感覚。
今、「そういえばこのプロジェクトは何ページくらいかな。たぶん3000くらいだろうな」と思って確認したら、3800を超えていた。それくらいに、普段は気にしていない。
ページ数の総数を気にしないで使えるのがScrapboxの良さだと感じている。
もし、上記のようなうぬぼれが生まれるならば、全体のグラフビューだとかはますますそれを助長するだろうと予測する。
長大なグラフがそこにあったところで、その知識や情報を使って何かを生成していないなら、それ以上のものは何もない(グラフがそこにある、という価値はある)。
「自分のScrapboxにページがたくさんあること」は、何の根拠にもならない。
読書の冊数が、知性の根拠にならないのと同じ。
一方で、「実力以上の自信を抱くこと」も気になる。
まず、「実力以上の自信を抱くこと」が悪いことなのかどうかが判然としない。
「うぬぼれ」という表現がすでに評価を含んでいるように感じるが、はたしてそれは完全に肯定できるだろうか。
自分の実力が100として、101の自信を抱くことはそんなに悪いことだろうか。
だとしたら、他人に対して傲慢になるくらいに自信を持つことが悪いことであり、もっと言えば「必要以上の自信を抱くこと」は悪いことだと言えるだろう。
この場合の「必要」とは、何かを実行に移すに足りる、ということだ。
行動には自信が必要になるので(特に新しい行動であればそうだ)、それを満たすだけの自信があればよいし、それ以上はだいたい余計なもので、それが増え過ぎると他人に傲慢になり、自分の内省も弱まっていく
さらに気になるのは、そもそも「自分の実力」は、上のように100とかそうしたもので測定できるのだろうか。
測定できないなら、どうやって「実力以上」を判定するのだろうか。
結局、Scrapboxうぬぼれ、というのは「うぬぼれを持ちやすい人が、その根拠の一つとしてScrapboxを使っている」だけであって、ツールを換えたらそれはそれで別の根拠が持ち出されるだけではないか。