2023/04/16 Mijinko_SD
1人だけクソ長い日記書いてて邪魔なので、切り出しましたMijikko.icon
どうせ1ページ丸々貸し切ったのだから、もう少し広く使ってみるか
便乗
https://img.shields.io/badge/dynamic/json.svg?color=b380f9&style=for-the-badge&label=みじんこのメモ書き&suffix=+pages&query=$.count&url=https://scrapbox.io/api/pages/Mijinko#.svg
https://img.shields.io/badge/dynamic/json.svg?color=bdbdbd&style=for-the-badge&label=みじんこの独り言&suffix=+pages&query=$.count&url=https://scrapbox.io/api/pages/Mijinko-other#.svg
どうやって楽に生きるかを語ってくれそう(まだ最初しか読んでないのでアレだけど)
めちゃくちゃ他人のことを舐め腐っている
その上で、どうすべきかを書いている
でも鵜呑みにすることはできなくて、そのノウハウについて考えているうちに「そんな生き方をして本当にうまくいくのか」という疑問が出てくる
読んだことないので気になるinajob.icon
18:41:35 読み終わったMijikko.icon
結構難しいkyamad9.icon
ある選択について考える
その時、自己正当化していないだろうかという疑念が常に存在する それを払拭することができない
余談:人生では違う選択を取れないことをケーキのつまみ食いに例えた人がいたけど誰だったか、、、
その疑問含めてログにすればよいのかも?
+1Mijikko.icon
あくまで行動の選択肢を増やしたいだけなので、できるだけ詳細に書いていればそれで良いかも
人の選択を覗いてみるの楽しそうkyamad9.icon
趣味という観点から考えた場合、コスパめちゃくちゃ良いのではkyamad9.icon
長い時間楽しめる
確かにMijikko.icon
問題は、休みの時間があまりにも少ないこと
「〇〇が良い」みたいな文章を見たとして、自分はどうだっただろうとか、考え方の何が悪かっただろうとか、どうすれば良かっただろうとか考え始めて、自分の中に引きこもってしまう
そんなことは本を読んでから考えればいい話なので、非効率極まりない 考えた結果、本の内容と重複することがあると考えた意味が薄れる
そうでもないと思うtakker.icon
自分で考えられることは大事
場面は違っていても、普段の生活において余計に考えすぎてしまっている場面は多いと思う
見直したい
時間がかかることを気にしなければ良い読書体験に見えるinajob.icontakker.iconyosider.icon
時間が重要な場合は、目次読書やら速読やらを駆使するtakker.icon 「思考する際はScrapboxに書き出すこと!」というルールを設けて、思考の頻度やスピードに制限をかけるのが良さそう
Scrapboxに書き出せば、整理もしやすくなるし、一石二鳥
どうしてもダメなら、音楽聴きながら本読むかな
あんまりそれやると疲れるからやりたくないんだけども
現場で馬鹿正直にやってもうまくいかないことってわりと多いから、何かしらの工夫を凝らして対処していくんだけど… って気がした
例えば、「近くにいない時の会話手段が無い」に対する「現場の工夫」は「近くにいる時に先々の情報もまとめて共有する」になるかもしれないけれど、そもそも電話とかチャットツールとかいう製品があればそういう工夫いらないよねって感じになる
課題があることを認知し、改善を促すのは良いと思う、すぐ解決できる前提、希望は捨てた方が良いinajob.icon
積極的に発言する人は、寡黙な人が何も考えていないと思い、自分の意見をバンバン投げてくる
寡黙な人は口に出さないだけで人一倍よく考えているので、積極的に発言する人はありきたりなことしか言わない馬鹿な人だと思う
どちらが悪いだろうか
「~互いに問題がある」ではなく「~双方にある」が表現として正しいような…
前者はバイアスがかかっているなって思うcFQ2f7LRuLYP.icon
「寡黙な人が何も考えていない」かは確定できない、人の心の中は見えないので
後者:「積極的に発言する人はありきたりなことしか言わない馬鹿な人」はどうかな
発言を吟味して馬鹿と判断しているのか?レッテル貼っていたりしないか?
寡黙な人は積極的に発言する人の発言に対して意見を言っていないので、考えが研鑽されずコミュニケーションがそこで切れてしまっている
例えば議論をするとき、何も言わなければ議論に何も貢献していないのではないでしょうか?coolwind0202.icon
話さないなら話さないなりに、自分の考えをまとめて文章で伝えるなどしないと、場にそぐわない行動になってしまうと思います
議論を進行するうえでは、寡黙な人に問題があると思いますが、寡黙な人のアウトプットを促せない要因が場にあるのだとしたら、積極的に発言する人にも何か問題があるのかもしれません
ありきたりな意見であっても、議論を前に進めていることに変わりはありません
+1cFQ2f7LRuLYP.iconkyamad9.iconMijikko.icon
ありきたりな意見が「何故そうなのか、どうすれば解決できそうか」の考えを適宜共有するなら寡黙な人も貢献できそうkyamad9.icon
そうなると寡黙な人ではなさそうw
寡黙な人という前提に対する認識を揃えるのが必要そうkyamad9.icon
他者視点存在していないのとあまり変わらなそう
※ 一言も喋らずに意思を共有しないならという前提
存在によって貢献する(出席だけで意義がある)ならまた別問題に発展しそう
あと身体による表現とか
無言による表現もある
kininaru kyamad9.icon
suto3.iconさんも書いてたはず
場に積極的に発言する人しか居ない場合
黙って聞いてる人が貴重
場に寡黙な人しか居ない場合
積極的に発言する人が貴重
誰かちゃんと回す人が必要そうbiwa.icon
組織内で「言っても無駄」な空気が出てる?cFQ2f7LRuLYP.icon
こういう組織はもう……
どっちの立場になることもあるけど積極的なときはもう突っ走らせてくれと思ってる時があるwogikaze.icon
変なこと言ってたらツッコんで!言わなかったらそのままやるぞ!みたいな
寡黙な人パターンは逆にそのままでいいよ、のパターン
自分はよく喋るタイプinajob.icon
比較すると自分以外はみんな寡黙に見える
自分は単に考えたことを口に出してるだけ、特にリモートではこのやり方をしてる
寡黙な人はこの頻度が低いだけという認識
結果を考えた後にまとめて発言しようとしている
時々、なぜその考えに至ったのか周りの人には理解できないケースがある
その後質問して聞き出すことになる
よく喋るやり方は、話し終えた時に相手にある程度道筋が共有できてる気がする
自分の思考に相手を付き合わせてる感覚がある
ベラベラ喋ってると、たまに止められることもある
考え中の人にはノイズだったりもする
別に深く気にしないようにしてる
これが自分のやり方なので邪魔と言われれば場が落ち着くまでは黙る
よく喋る人は多いと場が混乱する
ファシリテーター的な役割をすることが多い
相手の意見を聞いた後も、自分なりに言い直して確認したりするので、余計喋ることが増える
ファシリテーターでない時は発言を控えることもある
途中でチームリーダーを引き受けたが、前リーダーから「突然リーダー的(おそらくファシリテーター的な振る舞いのこと)に発言するようになって、驚くと共に安心した」的なことを言われた
あまり意識してないが、努めてよく喋る振る舞いをしているのだろう
他人に従順に従い続けると、下のような矛盾に遭遇してしまうのかな
とあるグループ内で、ある人はAが正しいと言った
自分はそれに共感し、Aに従っていたが、とある人はBが正しいと言って怒ってきた
なんで怒るんだ…?yosider.icon
自分はとてもショックを受けた。確かにBは正しいし、それをしてこなかった自分は何なのかと
だが、ふと家に帰って冷静になると、自分がああいった行動をしていたのはAが正しいと言った人がいたからで、自分はそれに従っていただけだったということを思い出す
他人の言ったことを鵜呑みにしてしまうと、いざ別の意見を出された時に、何で自分がそうしていたのかを説明できないことがある わかるcFQ2f7LRuLYP.icon
何か問題が起こったとして、「お前はこうできたんだから、こうすべきだった」という意見に対する良い言い訳は無いだろうか
前提条件として
自分には余裕がなかった
思考を巡らせる余裕
前例がない中で、わざわざその穴を塞ぐことに時間を割く余裕
この例でいうと、「一般的に考えて考慮しうる事象かどうか」という推認によって罪かどうか決定されるので、相手の一般的の定義を上書きする必要がありそう
むずそう
相手の認識が間違っていることを相手が納得しなければ、相手にとっては違和感が残り続ける
言い訳以外の解決策が良さそうみを感じるkyamad9.iconinajob.icon
前提を破壊する問いではある
それはそうMijikko.icon
余裕がないなら時間を作っておけばいいし、理由がないならもう少し想定を深掘りしてみると良い
ただ、自分が今できる100%の行いをしても、問題が起きる時がある
そういう時に「こうすれば良かったよね」なんて第三者目線で言われても、自分の行動に当てはめるのは難しいし、聞いていて面倒になる
+ 100 kyamad9.icon
「こうできたから、こうすべき」という発言をする頻度が高い人とは距離を置きたい感 kyamad9.icon
認知能力には限界があるので必ずミスは存在する
もっと抽象化すると「現実における何かしらの行動はリソース配分の問題であり、またリソースが有限という制限が存在する以上、必ず欠点は存在する」
それが致命的になるミスなら、仕組みで解決する方法を考えたいinajob.icon
作業者が注意します、と言うのは筋が悪い
どの会社でもあるフロー
センス/プラクティスが必要
雑に、「確認者を増やす」とか決めると後で大変になる
忙しくて注意散漫になりましたみたいな事例があったとして、それの解決策として確認事項を増やして余計に作業が増えたら逆効果に…Mijikko.iconkyamad9.icon
誰かを生贄に捧げるという構造にそもそも問題がありそうkyamad9.icon
この構造があると「こうできたから、こうすべき」という批判をする人は一生無くならない気がする
何かしらでうまく行っている人の本を読むのは面白いのかもしれない
今まで正しいと思っていた人に対して、初めて「そうじゃない」と思えるきっかけになる
「もっとマシなやり方がある」みたいに
今までは、自分の成長を待つことでしか否定できなかったので、まあまあ時間がかかっていた
当然、本の内容が全てではない
自分の中の「やりかた」が増えるだけ
日常で、これ何でやっているの?って思う場面はたまにある
大抵は、やっている本人でも何故やっているかまではわかっていないので、聞いても答えてくれないことがほとんど
慣例でやっているだけとか、やらないと不幸になるという思い込みからやっているとかがほとんど こういうのも、成功者の本を読むとその人なりの答えが書いていたりするのかな しらんけど
それなりに正しい選択をして生きてきた人ならば、無駄なことはしていないだろうという前提条件付き
自分は謝ることへの心理的ハードルが高いけれど、ちょっと見直したほうが良いかもとは思い始めている ここ最近で謝ることを軽視(?)しているような文章を見かけたのがきっかけ 世の中、みんな本音を言わない。「言ってはいけない」という空気が支配している。そんな中で、本音をズバッと言う人がいたらどうだろう。一気にポジションをとれる。もちろん、好き嫌いで言うのではなく、根拠を提示したり、改善策を一緒に考えたりはする。ただ、無責任に「うまくいきますよ」とは言わないだけだ。僕が人に本音を言えるのは、「最終的には謝れば関係を修復できる」と信じているからだ。これは、81ページの「修復可能かどうか」のところでも話したことだ。後からうまくいったとしたら、「あのときはごめんなさい」と言って謝れば修復可能で、それでも嫌みを言ってくるような人であれば、そういうタイプの人とは仲良くならないほうがいい。もし後になって間違っていれば、そのときは謝る。そのリスクさえとれれば、いつだって思ったことを言えるはずだ。
ひろゆき. 1%の努力 (pp.108-109). ダイヤモンド社. Kindle 版. Kindleからコピペしたら自動的に引用元も付与された
すご
怒られるのが怖くて何もできないといった場面が自分には多い
何をすべきかが見えてもうまく行動できず、結局予想通りの怒られが発生したり
行動しなかったことが明確に裏目に出ている
リソースは限られているので、わかっていても対応しないと言う選択もありinajob.icon
チームで作業してるなら懸念をテーブルに乗せるのはやるべきな気がするが、それら全てに取り組む必要はないと思う
うーん、まだ入ったばかりなのもあって、リソースを基準としてやるべきかどうかを判断するのは難しいですMijikko.icon
どれが重要で、どれが譲れなくて、みたいなのがまだよく把握できていない
言われたことは全部重要みたいになってる
これも100%良いわけではないか
タスク管理の責任者にここに書いた質問をすると良さげinajob.icon
タスクを振る人は、作業者がどのくらいでそれをこなすかを理解してるわけではない
感情的に「行動しない」ことを選んでもそこに合理性は無い
謝罪すれば何をやっても良いと言いたいわけではないのであしからず 切り出せば無限に掘り下げられる
https://gyazo.com/44374dc0406e3397928ce988fe7a141c
今更直した
重複する記述は調査してない
疲れた
休も
ただ生きているだけでも疲れを感じるのやばいな