誤読可能な文を一意に定める
文章を書くときに起きる作業
複数の意味に読み取れて誤読可能な文を、片方の意味にしか読み取れないように編集する
書いた文が複数の意味に読み取れる文になっていたりする
攻撃的な意味になっていると自分の中でもショッキング
書いてから誤読可能と気づくまでによく時間差がある
自分の文章を他人の目で見る事はできないから
書いてから時間が経つと他人の目になれて気づく
三日前の自分は他人になる
当時の記憶が消えて他人の目で見ることができて不足に気づける
誤読可能な文を直してる場面の例
手を煩わせてわざわざ削除しなくても、そのままでも大丈夫なのでは
消したいページを挙げてくのページにvlzs.iconが書いた文
意図してた意味:消す人が手を煩わせて時間を使わなくてもいいのでは
こう誤読することができた:私たちメンバーに相談して私たちの手を煩わせてる
訂正後の文章
削除作業者が自身の手を煩わせて時間を使って削除しなくても、そのままでも大丈夫なのでは
書いた文をあとから読み直してたときに気づいた
ぬっSummer498.icon
vlzs.iconはいつも良い文章を書いている。本人が悩んでいるほど深刻な表現の問題は見受けられない。文章表現を見直して点検するのは良いことだと思うが、自分が苦しくならない程度に、胃が痛くならない程度に……。
一意に定めることは難しい
受け取る側で意味が変わることがある
投げるのが同じ言葉でも、受け取る人によってその言葉から立ち上げるイメージが異なる
その人が今までに触れてきた、<その単語と一緒に出てくる状況?>によって変わる
これは書き手側ではコントロールできない
言葉を尽くし説明を増やして(概念の形そのままはではないが)部分部分を説明して形を近づけることはできる
https://gyazo.com/533664ed4b4cb0acc8888998ba309b88/thumb/300#.jpg
from 2026/04/28#69eff2350000000000e8d7dc
話せば分かるを信頼していないかも
使用している言語は同じでも、一つひとつの単語に背負わせている / 背負わせられている歴史が各人で違いすぎる
主観的な意識も違う
これってクオリア?
言葉を尽くし、概念の周辺を点描することでなるべく意思疎通を図ることはできるが、対話によって何かを解消しようとするのは難しい
だから、裁判には権威が必要で、強制力がある、と言えるのかもしれない
論理的に話そうとすれば意味や意図は一意に定まる、ということはない
これは諦念であるけれど、しかしここが始まりだという気もする
他人に伝えたい時にどんな言葉を使うかを選択できるが、その言葉がどんな意味で再生されるかは指定しきれない
意味の境界?を説明して概念を制限?することはできる(他の何かでない特にこれだとする)
靴下。それも毛糸の靴下。ナイロン製ではない。絹糸でもない。サンタさんの赤い靴下ではない。色は黒い。無地ではない。アップリケがついてる。アップリケは靴下のブランドを表す図柄。アルファベットでブランドのイニシャルを描いたもの。動物のアップリケではない。新品ではない。でも、穴は空いてない。くたびれてもいない。他の家族のものでない。私の靴下。友人の靴下ではない。外出用ではない。寒い冬に家の中で履いている靴下。スーパーでは買ってない。ルームウェアブランドの公式通販サイトで買った。
ページタイトルがクールで嬉しい
四文字の漢字と、身近でない語句「一意に定める」のおかげで
from 2026/04/28#69eff2350000000000e8d7dc
論理的に話そうとすれば意味や意図は一意に定まる、ということはない
この文を読んでこのページを立てた
でも文脈的にこの文は、当ページで言ってる内容でなく、「ある言葉から共起されるイメージは人によって異なる。その人が通ってきた人生によって。なので受け取り手のところで意味が違って再生されることがある」みたいなことを言ってるはず
自分の脳内では接地してる言葉をとくに説明なく使う
誰でも共通して了解してる生活の中にある言葉ではない
自分(他人)の脳内にはあるけど他人(自分)の脳内にはない概念は、読むときに負荷がある
この接地してるとかがそう
この言葉が登場するのは記号接地という話題
「りんご」に関して「赤い」「甘酸っぱい」「おいしい」を集めた機械はりんごを知ったことになったと言えるのか、みたいな話(?)
接地していて、オリジナルの情報を持っていると、りんごを思い浮かべたときに豊かな数を取り出せる(?)
あれどんな話だっけ
私vlzs.iconは今井むつみさんの本のどれかで読んだ
今井むつみ著 「何回説明しても伝わらない」はなぜ起こるのか? に関連する話が書いてあった気がするonuma.icon
違ったかも、今確認中…
思い違いだったみたい
自分の脳内では接地してる言葉をとくに説明なく使うに関連して、上記の本には私たちの思考には、意識せずに使われる「枠組み(=スキーマ)」があると記述がある
けど「りんご」に関して「赤い」「甘酸っぱい」「おいしい」を集めた機械は知ったことになったと言えるのか、みたいな話(?)とはまた別だ
けど、このページの内容に関連する本であることは確かなので、とりあえず残しときます