熟慮民主主義
昔、熟議民主主義とは別の形で民主主義を知性化するために考えた言葉hiro.icon
だが、単純に熟議民主主義の別訳語としてあったらしい
私の意図としては、KNSを中心とした希哲民主主義のあり方を表現したかった
私が「熟議」は民主主義との相性が良くない、と考えた理由hiro.icon
そもそも大衆は熟議に興味も理解も示さないだろう
エリートが思い描く理想、という感が拭えない
「議論」は必ずしも合意形成を促進しない
例えば、親に「○○やりなさい」と言われて「今やろうと思ってたのに!」と思ったことない?
人間は自分で獲得した結論を好む
黙っていれば同じところに落ち着いたはずの考えが、なまじ議論したことで反発しあい、理解しあえたはずのことも理解したくなくなる、という人間心理もある
民主主義を変える唯一有効な手段は「SNSを中心としているインターネット文化の構造改革」hiro.icon
つまり、SNSをKNSに変えること
SNSが変われば世論が変わり、世論が変われば投票行動が変わる
全ての人が、自らの知識を自らで更新していける環境を作ること
ここで重要なのは、「やらされてる感」を与えたり「高い意識」を求めないこと
議論するのではなく、自分でじっくり考えつつ、たまに人の考えを覗けるような環境があればいい
つまりデライトがあればいい