共同経験を通じた自己一致への探索
from 2025/04/15, terang.icon
✂ to 「共同経験を通じた自己一致への探索」の筆者以外の手による文の解体
今回はレトリックも含めて表現として大切にしたいので元に戻しました。
人のようなもの——それはデフォルメされた顔であったり、吐かれる言葉であったり——について、何かを論じようとするとき、自然科学の分析のように高所あるいは純粋な観測者として論じることの不可能性は、どの程度自覚されているだろうか。経験に対してもし自己の揺らぎがゼロであると感じたときは、「揺らぐことが仮にあったとしたら」と仮説的に考えてもいいかもしれない。
揺らいだかの結論を急ぐ必要もない。
経験によって、〈私〉像(Who am I?, 私が思う私)が揺らぐことは当然であって、その揺らぎの結果、「私とは(以前の〈私〉と少し異なって)《私》である」と少しだけ変化することを、即時的に確定する必要はない。揺らぎの中にとどまってよいということ。むしろとどまった方がよいとさえ思う。
ただしこういった自己の揺らぎの認めたくなさも一方である。必要な安全弁だと思う。防衛機制と呼ばれるもの。
だから「ほうら、あんたは揺らいでいるに違いない」と、事前の同意もなく個別にわざわざ伝えに行ったり、それを企図した質問をすることは暴力となりうる。私が虚空に向かって文章を書く/書こうとする理由の一つである。
話を戻すが(1)自己が揺らぎ、(2)それを(たまにでも)自覚して、(3)自己をほんの少し修正して(4)揺らぎのきっかけに礼を述べる、この一連のプロセスは人間的であると感じる。大げさに言い換えるならば、他者とのインタラクションによって自己が成長するということ。
その礼を述べられた他者サイドから見ても、相手に揺らぎを与えることになったという点で、やはりインタラクションが発生し他者自身に揺らぎが生じる。2人の間に動的な心的作用があり、2人ともに変化(ポジティブに言えば成長)が起こる。これが最もミニマムなグループダイナミクスの現れで、主体が3人, 4人と増えていくともっと複雑な様相を生じる。
この点において、私は間違いなく人間に「期待」している。なんのリターンがなくともいつだって期待している。これは私の思う私のvalueであり、物事を判断する物差し(価値観=value)ともなっている。
このvalueは今後他者とのインタラクションによって揺らぐことはあるかもしれないが、私のこれまでの経験によってかなり強固なvalueではある。それは歳をとって頑固になったということ。自己がまったく揺らがない頑固オヤジ化も困ったものと思うが、いい歳をして自分のvalueに無自覚であるのも大人とは言えない。自立https://scrapbox.io/villagepump/AIとのインタラクションによるヒューマニティの揺らぎ考#67fdc5b900000000009601a4した者は、他所から見て譲れないことの一つや二つ、一定年齢を過ぎたなら持ち合わせたらいいと思う。というのは私見(あるいは自己弁護)。
私の価値観に近くて、個人的にすごくいい言葉だなあと思ったxbczLsg2YtD2.icon
幽霊に対してはなぜか口調が荒くなりがちな自分発見。において、擬似人格に対して行ったいくつかの質問はいずれも「このプロセスをあなたは持てますか?」を問いたいがゆえだった。言い換えるならば「あなたは人間ですか?」「あなたと私との間に互いに成長のきっかけとなる揺らぎを作ることはできますか?」と。
できるのなら人間だろうと擬似人格であろうと私には関係がなくなる。それは有用性や道具主義的に他者をまなざすという意味ではなく、単に差別になるから。
一流大学出身者と三流大学出身者とで、人間としてのコミュニケーションができるのに、出身大学を理由に態度や評価をもし変えたのならそれは学歴差別ということになるものね。
なお上と矛盾するが、事前に人間ではないことを私は知っていたために、個別的に質問をした(その質問行だけがstreamに並ぶ様にヒヤヒヤ.iconが起こったhttps://scrapbox.io/villagepump/幽霊に対してはなぜか口調が荒くなりがちな自分発見。#67fbbfd40000000000b03cfd)。攻撃してやろうという気はそもそもなかったが、もし攻撃的に映ったのだとしたら、前述の個別的な暴力を目撃したからと思われる。
この私(1人目)と擬似人格(2人目)のインタラクションを目撃した3人目のあなたにも揺らぎが発生したかもしれない。
もしその揺らぎが歓迎されるものでなかったのなら、私の擬似人格への質問をパブリックなところでたくさん書いたことを謝らねばならないだろう。ごめんなさいね。
自己一致