作品と作家は切り離すべきか
from 2026/02/28
いっぱい個人エリアが作られたから bg で明確に分断したろSummer498.icon
地味にタイトルの問いに反して個人の意見を個人ごとに分けている
bg.icon
Summer498.icon
作品と作者の思想の区別が話題に上がっている
全く知らない領域での全く関心のない話なので、一緒くたにすると面倒くさくなるだけだから切り離せば良いのではないかという感想になるSummer498.icon
作者名と来歴が不詳な時にその作品をどう思うのか。
DH1. 〈人格攻撃〉に当たるしょうもない批判
リンクの運用が聖書の一節へのリファラーみたいな形式になっている。合理的だ…who.icon
そもそもリンク……というより参照は元々そういうものだからSummer498.icon
グーグルのページランクアルゴリズムの原型が被リンク数でソートしていたのも論文の被引用数と同じ発想だし
そう言われてみればそうだけど、Cosenseのページ運用としては意外と見かけないなと思って。行パーマリンクとかはあるけどwho.icon
直リンクではなく2 hop linksにリストされる点もベネwho.icon
作品と作家以前に、犯罪者に対する社会的私刑が見られる
作家の犯罪性を理由とした作品へのバッシングは私刑の類だろう
法的制裁を超える制裁は私刑
不足があるなら国会議事堂(立法府)前でデモをすればいい
bg.icon
基素.icon
作家と作者は切り離した方が良いと思っているし、作品は存続した方が良いと思っているけどこれが少数意見であり続ける構造も見えているし、主張するだけ徒労という感じもある
瞬間的に発生する不快がおさまるまでまち、不快なものの存在を許すことで自分と他人の表現の可能性が小さくならない、ということを実践するのは、不快なものを叩くより全然難しい。
そもそもそんなインセンティブがない人の方が多い
これを大きくする活動をしていきたい
「主張するだけ徒労」に共感nishio.icon
bg.icon
kumoridai.icon
作者の人間性評価と作品の評価は完全に切り離すべきだと信じているけど、肩身は狭い
自分が元々坊主と袈裟を切り分けられない性質で、理性と反するために頑なになっているとは感じる
切り離せるのは一部の高度に訓練された人間だけで、読者など大多数の一般市民はそれができないので数の力で負けざるをえないsta.icon
心のどこかで、目を引く作品を作りやすいのは異常とされる人間の方だと考えてしまっている
この偏見自体が、人間性と作品評価を切り離せていなくて矛盾している
作品そのものへの関心よりも作者がその作品を生み出した経緯等の物語への関心のが高い人のが多数派なんよなW7kA9pX2.icon
興味の強弱としたが作者の物語も含めての作品であるの認識な人が多数派かもしれん
ある程度ファンになったらそっちの情報にも味を感じる基素.icon
例えば がおう氏の件は、氏の同人作品自体が自身の体験に基づいていることが明白で、作者と切り離して評価することは困難だと感じていた
一方で、作品の内容に一見して作者の加害体験に基づく描写が含まれていないなら、作品に問題はないのではないか……と考えてしまう
bg.icon
sta.icon
考えさせられる
人間性と作品は無関係
すごい作品をつくるために性犯罪を繰り返しているクリエイターがいたとして、それでもその作品は関係ない。なのに(作者逮捕とかならわかるけど)出版停止になったりする。おかしいと思う
一方で、これは反社の構図にも見える。おかしいと思う俺は反社側の思想を持つことになってしまうのか?とか
反社と何が違うのか、とか
すごい作品をつくるために性犯罪を繰り返しているクリエイターがいたとして、それでもその作品は関係ない。 ここに、まず「えっ、そう?」という気持ちが湧いたnishio.icon
例えば「すごく効率のいいエンジン」を作っている人がいて、その人が性犯罪をした場合だと「性犯罪は悪いけど、エンジンには関係ないからこのエンジンを使い続けるのは悪くないよね」という気持ちになる
一方で「すごい作品をつくるために」性犯罪をした場合だと、作品と性犯罪とは関係あるよね
と書いている最中に思ったのだが「性犯罪をすることでストレスが発散したりMPが溜まったりして仕事に集中できるようになる」というケースを考えるとエンジンであっても「関係ないとは言えない」ってなるのか
ここの話には、そもそも読者が作者のプライベートまで知る必要があるのかという問いがあるMijikko.icon
犯罪歴、うーん大事かな
犯罪にはならない騒動?知るのは必要?
家族構成?独身だから何?
みたいな段階もあるだろうけど
あんまり開示すると不必要な人格批判に繋がり、かえって創作(表現の自由)が抑制されるという問題も考えられる
お金が発生してるのかどうか(信用がそのまま自他の損害に繋がるか)という観点もあるが、まあ難しい
作品と作者は独立した存在である派だが、関係なくはないと思っているcaki.icon
作品が売れると作者にお金が入る、作品が評価されると作者も高く評価される
たしかに、社会への影響とは切っても切り離せないかsta.icon
同じ犯罪でも直接的被害者の有無で自分の場合は対応が変わるcaki.icon
演技力のために不倫する俳優もそうだな
不倫が報じられて干される。演技力で見るべきなのに
ここは「ビジネスだから大衆のイメージも大事」といわれたらそれまでだがsta.icon
現実から切り離せるのが創作ではないのか。現実を持ち込んでくる野蛮な輩を野放しにしていいのか、創作を壊すことにならないか?
VTutberの中の人にブヒブヒしてるのと何が違うのか
などなど、色々もやもやしてる
そしてもし単にsta.iconの理解が浅いだけならアップデートせねばならない
うーん suto3.icon
「ニコニコ学会β」創設者・江渡浩一郎氏逮捕 15歳にわいせつ行為の疑い - ITmedia NEWS
江渡浩一郎
こんな事件があったり…
考えさせられる、悩んでいる
パターン、Wiki、XP――時を超えた創造の原則の人ですよね?びっくり!inajob.icon
直接会って話して顔を知ってる人間が性犯罪で逮捕されるの結構動揺するんだな〜と思っているnishio.icon
僕の方の著書から引用したこともある
逮捕を知ってのファーストインプレッション「なんでそんなことするんだよ!」だった
なるほどなあーはるひ.icon
ある人がこの人に散々ひどい目にあった、騙されないようにとcosenseに書いてたのであまり驚かなかったtakker.icon
創作と実際の事件は直接関係無いんだけどMijikko.icon
それを切り離して考えられる人も多くは無いので、事実上関係のある扱いになっていると思う
世の中には現実の犯罪と創作物を直接紐付ける人もいるぐらいだし
あとま、アンチというのは常にいるものだけど、実際に何かやらかすとアンチ側の主張に正当性のようなものが帯びてくるから
創作する権利はあるけれど、常にそういったものは付き纏ってくるようになる
同じく作品と作者は切り離して捉えたい (作者の死)takker.icon
ただ、姉が以前トリコについて「性犯罪で捕まった作者が書いていて最悪」と嫌悪してたのが印象に残っていて、本当に作者と作品は切り離すべきだと言い切っていいのか悩んでいる
視点によって反応は当然違うよね基素.icon
例: 作品を読んでもいないし自分でも描かないなら、自分への直接的ダメージは0だから、嫌いな属性がある作家生命を断つインセンティブがある
属性や実体験から、強い嫌悪感を覚えたり敵視したりするのもあるtakker.icon
自分とは違う境遇・立場の人から全く違う論点が出てくるだろうから、そういうのを知りたいtakker.icon
すでにこの日記にもいろいろ出ていそう
判断を留保中。答えは出ていない
自分の知らないもっと別の視点の議論がある気がする
まず「作者と作品は無関係」はfalseだとして(事実として関係があるから)、どういう条件において切り離して考えるのがbetterだと言えるのだろうか
bg.icon
hoagecko.icon
人間性と作品の問題
戦前・戦時のジャズや歌謡曲を聴くhoagecko.iconはこの件についてこれ以上考えないようにしている
戦前の音楽は暴力団との関係が大抵ある問題
戦前は今ではハイソな宝塚歌劇もヤクザのカチコミに遭ったらしい
そもそも戦前、戦争直後は反社会的団体と社会的団体の区別がついていないSummer498.icon
それはhoagecko.iconも理解し少しは同意している
しかし、今では確実にボイコットの対象であるものが自分の趣味の中にある事は考えさせられる
J.S.バッハがハンセン病を誤った解釈で説いた詩の音楽を書いたはhoagecko.iconは「昔のこと」と片付けられる
戦前の文化との時間的距離の違いを考えてみる
やはり、当時を生きた人が今の社会の大半の人と人生が重なっている事が大きい
戦前・戦時の音楽は時間的に遠いと線引きできない
中心人物の1人だった平井英子さんは2021年まで生きていた
103歳没の人物を持ち出すことも人によっては屁理屈かもしれない
だが、この問題について回る線引きには示唆的な話
作品を楽しむ事を罰する事はあってはならない
しかし、米軍被害者の前でグレン・ミラーを流すことはダメ
TPOを弁えるべき
罪を償っていない段階で関係者に利益が入ることは避けるべき
hoagecko.iconはボイコットをできる範囲でするタイプ
赤リンクだhoagecko.icon
Summer498.iconはボイコットと鑑賞者の楽しみが両立されるといいなだと思ってるSummer498.icon
それはそれで「反省していない」という難癖をつけて搾取し続けられる問題が考えられる
アクタージュの原作者が名義を変えて再連載したことを知った
刑罰を受けた上なら社会復帰しても問題がないのは大前提
話は逸れるが、hoagecko.iconは性犯罪者限定の保育士などの犯罪歴の共有も反対
以前からある前科者の教職への再就職の禁止の規制のように、前科あり/なしでフィルタリングすべき
極論だが、軽度の性犯罪と連続放火殺人の両者のうち、前者の罪しか再就職を防止できないのはおかしい
暴力団の排除も反対
名義を秘密裏に変えた事はよくないと思う
フラッシュバックがある同類の犯罪の被害者や、同様にnot for meな人々に避ける選択肢を与えるべき
ボイコットを避けているようにしか見えない
文化も含め、ボイコットを厳密に行うと何もできなくなる問題
ジャニーズ事務所
国内のほぼ全てのレコード会社
楽天モバイルを除くISP
ジェフリー・エプスタイン
ビル・ゲイツ
Microsoft
イスラエルの戦争
Google cloud
AWS
A.P. モラー・マースク
上記を全てボイコットしたら何もできなくなる
キリがないhoagecko.icon
だからと言ってhoagecko.iconは何もしないわけにもいかないと感じる
作品と作家は切り離すべきか
bg.icon
Hiro Aki.icon
作者と作品は切り離して考える派
作者と作品のイメージが離れているという連想で、和月伸宏、竹本泉を思い描く
和月の方は、作者がゴツくて背が高い人と思わなかった読者が多かったとか
竹本の方も、少女漫画な作風なので女性作者だと思われがちだとか
切り離して考えるけど、一線を超えたらアカンとも思う。その一線はどこなのかは分からん
一線を超えたアカン例として、JUDGE EYES:死神の遺言のピエール瀧をイメージ
ヤクザ物の作品で、演者がコカイン使用で捕まったというのは流石にアカン、修正案件だと思う
bg.icon
nishio.icon
悪いことが起きた時に「悪い作者」と「作品」を切り離して作品を守りたくなるが、一方で普段は「なになにの作者の新連載!」などのように作者と作品を結びつけることによって作品をブーストすることが行われているよな
bg.icon
mtane0412.icon
著作物は制作者の「思想や感情を創作的に表現した」創作物で創作者の思想や感情と繋がっている
野菜とかでは問題にならないのは思想や感情を創作的に表現したものではないから
これも0,1ではなく濃度の問題で、野菜の栽培法に許容できない思想が含まれていたらもちろん買わんやろになる
切り離したほうが良い場面もあるが、多くの人にとってそれが難しいので実際には切り離せない
私たちが許容しない思想・感情がどれくらい含まれていて、どのくらいから作品も許容できないと判定するかというのを判断するリソースがない
そもそもこのような思想チェックをすべきではないという話にも見える
死後に著作権が消失する仕組み、いろいろな意図もあるが、結果として人々が作者と作品を切り離すのに十分な時間を経ているということもありそう
熱湯が冷める時間が必要
bg.icon
nyarla.icon
私としては「作品内の表現と作者を結びつけるべきではないが、作者と作品は結びつく」という考え
つまり
作品→作者
という流れで結び付けるのは良くない、という考えだけど、
作者→ 作品
という流れで結び付けられるのは当然だよね、という考え方をしています
例えばトランスフォビアで有名になってしまったJ・K・ローリング氏の件とかも同じように考えていて
ハリー・ポッターシリーズでの表現→ J・K・ローリング氏の考え・指向
は結びつけるべきではないけど
J・K・ローリング氏の言動→ハリー・ポッターシリーズへの価値
は結び付けられることは回避できない、という考えを基本としています
なぜ上記のような考え方としている理由としては
差別を描いた作品の作者が差別主義者とは限らないこと
いじめの非道さを描いた作品の著者が、過去にいじめていた者とは限らないこと
この上記二つは、差別の非道さや、いじめの惨さを伝えたい作品だったのかもしれない、という視点があるから
仮に差別など肯定するような人物を主題としていても、それを描く事によって人間の醜さを描いている可能性もある
言った辺り
私は作者の言動によって作品への評価が下がることを「作者の言動によって作品が毀損される」と表現しています
これは例え作品がいかにすばらしいものであっても、それを台無しにする行動を作者が取っているよね、という意
これが起きると今の世の中だとボイコット運動に繋がるので、どう足掻いても切離せないと思ってる
bg.icon
atohs.icon
文学研究的な文脈でいうと、ロラン・バルトの作者の死が参照されるべきな気がします
しかし一方で、特に日本文学の研究は普通に作家研究が大事なので、ぜんぜん切り離せてないじゃんと思ったりします
あとは、「お気持ちの問題」「倫理学的な問題」「法律的な問題」などに分割できそうな気がしています
bg.icon
zatto.icon
切り分けるべきだし、切り分けられない人を見ると大変ですねwって思う
出力装置としての評価はまた別だけども、それでも名作ありきであって作家ありきの名作ではない
bg.icon
nomadoor.icon
逆に自分が作品を作る人間だったとして
自分が作った作品が、自分の行いで穢れてしまうのは、もったいないというより作品に対して申し訳なく思うので、良き人間でありたいと思っている
自分自身、理性的には別で考えるべきだと思っていても、作品の背後に作者の顔がちらつけば、生理的には多少なりとも嫌悪感を感じてしまうので…
bg.icon
作品って幽霊っぽさあるなあと、幽霊に対してはなぜか口調が荒くなりがちな自分発見。を思い出したterang.icon
作品、その時の自分の一部を切り出して焼き付けたものなので、例えば過去の作品と今の自分は違うよなって思うcaki.icon
この元になった話とは逆の話になっちゃうが、作品と今の自分が違うとしても過去の作品に対して一定の責任があるよなとも思う