ボードゲームの教育利用
ガッとなって書いたterang.icon
別にボードゲームに限る話じゃないんだけどもさ。
キャリア教育、コミュ力/意欲/主体性なんかの育成、生きる力とか人間力を育みましょう、みたいなものへの警鐘でもある(前半は)。
書いた経緯
「ボドゲの教育利用なんて勘弁してくれよー、趣味と教育は別だよー」的な一言のポストが数日前にされる
行政に利用されると大体面白くない結果になるSummer498.icon
お役所仕事とエンタメの相性が悪い
これポストした人(ここではwho4.iconとする)は、terang.iconと面識もない人だが、ボドゲ界隈では結構名が知れている人
このwho4.iconに対して、「残念だ」とか「教育利用反対者の意味がわからない」とか「ただでさえ狭い業界のボドゲが普及するんなら教育利用だってなんだって応援しようやん」みたいな批判というか、ちょっとした小石みたいな、あるいはなんだったら冷笑的なエアリプがいくつもterang.iconの目に入る
あと「人それぞれ教育に使いたい人は好きにしたらいいやん(自分はつまらんからやらんけど)」的な発言にもモヤり。
自分も真っ向からすべて反対したいわけじゃないけど、「こういう立場もある」というのを書いておきたくてわーって書いた感じ。
あとそうだ。基本的には公的な面での話をしています。
企業内教育が公的か?の議論はあるとは思う。本来的には私的領域だから。まあでも公的性を帯びているのが現代だと思うし。
家庭内とか、親子関係とか、プライベートでのことはそれこそ各自好き勝手やったらいいと思う。私秘的でなければならないことさえあると思うしさ。
パブリックに向けて教育の話をするんなら、多かれ少なかれ公共性を帯びるってもんなんだから、薄くとも自分ごとなのよ。
ボドゲの教育利用の話、面白いなぁsta.icon
僕は教育は先生と生徒の構図が必須と思っている
先生が強くないといけない。生徒は先生に従う。先生が絶対権力者
知識や経験をちゃんと教えるための構造として必要
(先生側がうんちだったら生徒もおしまいだけど、ここは先生や所属組織のクオリティの話なので割愛)
ボードゲームはたぶんこの構造を壊すんだろうなと思った
ゲーム中の生徒達自身の自治になってしまう
体育の自由時間で「運動神経いい奴らのノリ」が形成されて、それにのれる or のれない構図になってしまうが、これと同じ事が起きる
のれない側の教育機会が潰される、下手するとのれる側から迫害されてひどいことになる
昭和平成まではあったと思う
令和の学校はどうなんだろ
相手に対して「そこを質問しなかったあなたが悪い」といった含みが書かれている。ただの意地悪ではないか。
これが正当化されるのはどんなときか?それはねらいが事前に提示され、そのねらいに学習者が同意したとき。
このケースの場合、例えばどんなねらいが考えられるか?例えば:
情報を自分から確認する訓練に挑む
ゲームを通じて勝つための状況を論理的に分析する練習をする
クリティカルな視点の持ち方を学ぶ
「よし、こういう目的のためにこれから『このゲームをする』という時間をこれから過ごそう」という判断が、学習者にできるとき、ファシリテーター側からのねらいの事前提示と両者の同意が成立する。
これは学習者を、人格の完成した主体(つまり成人(大人, 社会人))として想定しないとできないこと。
子どもは人格の完成前の存在(cf. 教育基本法)。というか人格の完成前の存在を「子ども」と近代において名付けているまである。 そうなってくると、学習指導要領に則った「意地悪」しか正当化できないではないか。 こういうファシリテーターの側が正解とも不正解とも、どちらとも状況や言い方で恣意的に選べてしまうような行為を「教育」なんてカテゴリで呼んではならないと思う。