アクタージュの原作者が別名義で漫画原作として起用されていたことが公表された
kumoridai.icon
既に執行猶予は満了していた
kumoridai.iconの理性の部分は、であれば何の問題も無いでしょうと言いたくなる
しかし、よりによって心理カウンセリングがテーマの作品だったのは燃料として質が良すぎると感じてしまった
だが、カウンセリングを受けた経験がテーマに生きていると言われると、確かにその通りだ
真剣にカウンセリングに向き合って更生したからこそ、自分の世界観として活用できるのだと考えると理屈が通る
更生の過程で得た経験を抽象化した作品は、流石にサムの息子法の範囲外だとも感じる 知った上で作品を読みたかったという意見を目にして、感情としては分かるものの、理解はまだ出来ない
作者の前科を知った上で読む方が面白いなら、もう一度読めば追体験出来ると思うが、そうではない
前科を知らずに作品を楽しんでしまった自身の経験が、良くないものだと感じるのだと思う
一方で同じ方から、社会復帰した加害者が成功する姿は被害者にとって苦痛だという意見も出ていた
前科を明らかにして作品を出して絶対に成功しない、くらいしかこの条件は満たせないのでは
真に被害者感情・読者感情に寄り添うのであれば、公表しない方が全員幸せだと思う
上記の小学館によるリリースも似た価値観のもとで別名義にしたと説明している
これには秘匿し続けることが出来るなら、という前提がある。今回はその前提が崩れている
いつか秘匿出来なくなる未来が見えていて、予め公表していた場合よりも大きなダメージが発生するなら、確かに最初から秘匿すべきではないだろう
このリスクマネジメントをした上で、面白い/売れそうなため別名義で作品を出すというのはありうる判断だと思う
乱暴に言えば、被害者の感情は預かり知らないところで勝手にギャンブルのチップにされているとも言えるが
これを許さないと、刑罰を受けた後も加害者の行動が被害者の許可制になるのではないか
罪に向き合うことが償うことだから名義を変えるのは卑怯だ、という別の方の意見を目にした
kumoridai.iconには無い視点だ
(前科の完璧な秘匿は被害者のためにもなる も真とするなら)名義変更を許さずに、加害者の更なる反省を被害者感情よりも優先すべきか?
刑罰を超えて罪を償わせるのは単なる私刑だという意見も見たMijikko.icon こっちの方が余程しっくりきたMijikko.icon
kumoridai.iconの理性の部分「刑罰を終えたら堂々としていればいい」
kumoridai.iconの感情の部分「刑罰を終えてもシュンとしているべきだ」
名義の変更は、当人は堂々と出来て、他者からはシュンとしているように見えるので良いとこ取りに思える
kumoridai.iconの価値観の根底として、認識していないものは無いもの同然だと思っている
完璧に秘匿されているなら、別名義での作品は別人の作品
真実よりも個々人の認識が優先される
これは認識論なのだろうか? 扱う事柄の抽象度が違う気がするので相応しい名前がありそう?
とすると、かなりズレた価値観の可能性がある!
見る側とやる側で全然違う気がする基素.icon
性善説の匂いがするSummer498.icon
一旦運用を具体的に想像したうえで性悪説的に、どうしようもない悪人があらゆる手段で付け入ってくることを考えると、問題点が見えてくるのではなかろうか
ハッカーみたいな話
ハッキングするにはどうするのかを考えるのはホワイトハッカーでもブラックハッカーでもできる
完璧に秘匿されているなら、別名義での作品は別人の作品なら、都合が悪くなった瞬間に名義を変えて別人として活動すれば良い。それで逃げられる。
それを許すか許さないか。
Mijikko.icon
罪を犯したなら一生身の程を知った生き方をすべきという意見もそこそこ見るけど…
罪とされてないだけで何かしら仕事だったり人間関係だったりで迷惑かけたことある人いると思うんだけど
それらがどう違うのかはっきりとはわからない
それは罪の大小の違いなのか
はたまた刑罰とされてるかどうかの違いなのか
もしくは社会的影響の違いなのか
でも刑罰であっても大量殺人したら死刑になって反省の機会与えられないしな… かといって石を投げようとしている人がその違いを理解しているとも思えない
被害者に誠意を込めて頭を下げるのはわかる
無関係の第三者を納得させる為の反省とは一体なんなのか
漫画アプリで無料で読んでいた人達が当事者ヅラするのも如何なものか
はっきり言ってそんな権利無いと思う
単行本買っちゃったなら若干関係者になるかもしれないけど
金額たかが知れてるし損害と言える程のものはないだろう
Summer498.icon
反省とか社会的制裁とか言っている無関係の人は、安全圏から石を投げつけることができる対象が欲しいだけだろう。
人間のリンチ欲は凄まじく大きい。
丁度よい大義名分があれば誤謬であれ詭弁であれ全力で使ってボコボコにブチのめして暴力的欲求を満たしたいだけ。
これは根源的な欲求なのか、個々人を説得したところで、新規要員が速やかに補充される。
このため、犯罪者に対してキレている縁もゆかりも無い人間を批判しても、豆腐に鎹、暖簾に腕押し、骨折り損のくたびれ儲け、……(略)となる。
犯罪者そのものよりもリンチ欲に駆られた集団のほうが余程惨酷+暴力的+(社会の安定を阻害するため)反社会的。
逆に犯罪者(人数が少ない)をこのような集団から隔離・保護したほうが効率的
なので犯罪者はかなり手厚く保護される。
特に少年犯罪。
しかも、その上でゴシップや悪趣味な情報源が根掘り葉掘り掘り下げようとするため、保護の必要性と強度が益々大きくなったりする。
Summer498.icon
悪事を成したものが、非難を受けた後に「シュン……」となっているのは反省というよりも、タダの抑うつ状態であり、これを反省と称したり、かくあるべき理想として掲げるのはリンチと似たようなもの。
反省文を書かせて、その内容について精査し、原因と結果、行動と迷惑について分析できているのかを確認した方が良い。
少年院ではちゃんとそういうことをしているらしい。
刑務所ではどうなのだろう?