アイコンはたまにつけたり/ついたり、つけたくなったらつけてみたり、混乱した人がつけてあげたり、つけ忘れたりという感じでいいんでないか
from 事実と意見のアイコン付け
この件の私見として、ルール化せずにアイコンはたまにつけたり/ついたり、つけたくなったらつけてみたり、混乱した人がつけてあげたり、つけ忘れたりという感じでいいんでないかと考えたりする。
そのゆるさが心地よくていいんだよ、ほんとに。ましろ(vue.js).icon
でもこれの何がいいのかはそのプロジェクトの目的次第みたいなところもあるので強く主張したいわけでもない。
3ヶ月くらい前に書いたことは忘れたりするので、自分が書いたことかもしれないし他人が書いたことかもしれない言及を、あとからみんなで書き換えるなり頭にスッと入ってくる箇条書きにしてみるなりを、したくなった人がしたくなったタイミングでやっていく……という事態が仮に起こるとどんな問題が想定されるかね。
記憶バグ含めてコラボレーション、ある意味で風通しいいよねwましろ(vue.js).icon
「おれの書いたことが許可なく書き換えられた!」とか、その語彙じゃないのにな、みたいな心の揺らぎはありそう。
目的(あるいは共有される/できる目的)は、自己表現なのかwiki整備なのか。
Cosense.icon周りでしばしば見かける「他者とコラボレーションする」ってのは、自己の揺らぎを許容する営みでもある。というか多少あれ他者と自分に接点があれば、何らか自分の見直しに迫られ続けることは不可避。
誰でも参加可能なPublic Projectならば、たびたび事件めいたことは起こるだろうなあ。
事件込みでプロジェクトが育つの、カオス育成感ある。ましろ(vue.js).icon
事件を始めから許容するあたりに面白さがある気もしている。
始まりの暴力としての——ソフトウェア
いやこの言い回し、インパクト強すぎてポエジー感じた😳ましろ(vue.js).icon
マックス=ウェーバー、あるいはハンナ・アーレント
それは民主的だなあ、とも思う。
/komoji-od/目的を立てたならば人間はその目的による手段の正当化に至るほかないを思い返すと(別にこの「——至るほかない」という意見に全面的に同意しているわけではないけど)、アイコンの無目的さというか、「楽しいから自分でアイコンをつける」みたいな遊び感は、個人的に気に入っている。
そう、それが一番ピースフルで続くやつ。ましろ(vue.js).icon
ホモ・ルーデンス
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