フルマラソン選手は走っているとき孤独なのか
Auther:彩.icon
昨晩孤独の話になったのでお風呂で少し考えてみました。 私が疑問に思ったのは
・マラソンは己の力のみで完走する必要があるから孤独である
と言うことはできますが、では
・マラソン選手を支える家族、二人三脚で練習してきた監督が応援しているマラソン選手
は孤独と言えるのか?という疑問です。
結論から言うと、ハードな孤独とソフトな孤独があると感じました。孤独にも度合いがある。
ハードな孤独:わたしの思いが他者と共有できていない状態
ソフトな孤独:わたしの思いが他者と共有できている状態
(ハードとソフトのニュアンス:強い・弱いとだけ捉えていただければ。)
(後付けだけどハード(身体)、ソフト(気持ち)となったのはちょっと面白いですね(感想))
図にしてみた。
https://scrapbox.io/files/6092ef32ae2d0c001c1b77ef.png
わんど.icon👏iwaken.icon
Slack イワケンさんのコメント
孤独は客観、孤独感は主観なので違うかも
私が気になっていたのは孤独じゃなくて孤独感かも。
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真に目標を共有できる者がいない感じ。
っていうのもあるので、目標の共有という意味では
自分や人に期待しないタイプの人は孤独だったりするかも? マラソン選手の場合、他人の期待で繋がっている状態と言えるかも?
面倒は見るが期待はしない、という状態もあるとは思う。
それはでも孤独なんじゃないか?結局やれるのは自分しかいない。
ソフトな孤独なのかどうか......。
iwaken.icon
ソフトな孤独とハードな孤独、セクシーな言語化になりそうな予感
図が導入された、いいね
孤立と孤独もまた違うので、改めて整理したいかも
"孤立とは、人間関係から離れて助けもなく、1人だけ存在すること"
"孤独とは、志などを同じくする人や精神的つながりのある人がいなくて、1人になることです。"
これを見ると、孤独も主観なのかも
観客と選手は孤独かもしれないですね
監督と選手も、身体の痛みも関して、だいたい監督も選手経験者であることから、ちゃんとコミュニケーションしている人であれば、同じ痛みを共有している感覚になるのかな (孤独でない)
でも、走っている間はそこまで考えないし、自分との戦いだから、少し必ず孤独なところがあるかもしれない (ソフトな孤独?)