人に期待しないこと
Auther:彩.icon
私は日々のストレスを感じることが少ないんですが、実は無意識のうちにストレスを回避しているのでは?と思う今日このごろ。 ただそんな私でももやもやを感じることが無いわけではなく、一つ一つ例を上げていった結果タイトルの結論に至ったのでそれを書く。
もやもや発生ケース
困ってる人がいたからアドバイスをしてその問題は解消されたが、特に感謝されなかった。
塾講師をしてたときに受験に合格した生徒が、挨拶も無いまま塾を辞めた。
業務でツール開発をして効率化したが、特に感想が得られなかった
*もやもや程度です。
で、これらの共通事項が何かというと、全部見返りを求めているんですよね。
困ってる人がいたからアドバイスをしてその問題は解消されたが、特に感謝されなかった。
ありがとうの一言あってもいいのに
塾講師をしてたときに受験に合格した生徒が、挨拶も無いまま塾を辞めた。
色々あったんだから最後にお話くらいしたかったのに
業務でツール開発をして効率化したが、特に感想が得られなかった
よかった!とか楽になった!とかレベルでも良いからあると嬉しいのに
心の狭い人が形成されてきているように見えますねが、これは箇条書きのせいです(?)
さて、見返りを求めるってのをさらに抽象化すると、以下のようになります。
思ってたのと違う
予想してたのと違う
期待通りにいかなかった
個人的には「期待通りにいかなかった」ってのがしっくりきます。スマブラで勝てなくてストレスが貯まるのも「勝てる試合だったのに勝てなかった」「こう動かしたつもりだったのにうまく動かなかった」という期待に反した結果が生じた場合なので。
なので現時点での結論は
何かをするときに人に期待はするな
ということになってしまうのですが、これを信条にするのは人としての何かを失ってしまうのでは…?という気がして嫌なので保留にしています…。
「失望は不適切な期待から生まれる」というのを自分は大事にしています 彩.iconそう思う 他人に対する「期待」のかけかたについて調整することによってストレスを軽減することができる、と思っています。
彩さんの例でいうと
他人からの「ありがとうの一言」について、私はどっちでも良いと思っています
ありがとうをいうかどうかは相手の課題なので 課題の分離 「ありがとう」といわれたら嬉しいし、この人は「ありがとう」を言える人と認識しますし、言わない人は言わない人と事実ベースで認識するのみにしています
見返りも相手が考えることなので「自分がどうするか」しか考えないようにしています
感謝の話を聞きたかったら、自分から話す場を作ります。
自分が感謝の言葉を伝えるか、についてはしつこく考えたり、反省したりします。自分がコントロールできる事象なので
仕事では「期待値マネジメント」というのも大事にしています。これはテクニカルな話。
依頼先の期待値を過度にあげないこと、適切に調整することが、仕事としてスムーズに行くコツの一つだと思っています
期待値を下回る仕事をすると、信頼は減りますし、期待値を上回る仕事をすると信頼が上がる、そういう仕組身と考えると面白いかも
仕事を頑張るのに加えて、期待値を調整する、というのも信頼を上げるために重要だと思っています
例えば、5/6まで提出します!→5/6 12:00に提出します! (期待値の解像度を上げる)
5/6 12:00に提出します!といいながら、5/5 12:00に事前確認を当てる (期待値より上の動きをする)
事前アテをすることで、アウトプットの期待値がずれていないか確認する
彩.icon
コメントありがとうございます。
失望は不適切な期待から生まれるというのは良い知見になりました。これがあると場面ごとに「期待していいか?」というの段階を踏めるので便利ですね。これが期待のかけ方の調整として扱えそうです。
そもそも他人の言動を制御しようとすることが間違ってますもんね。他人の言動を制御しようとする行為がそもそも嫌いなのでしないようにしてるんですが、それを期待してしまっていた自分も間違っていたなと感じます。 「7つの習慣」でも自分のことは制御の範囲内だからどうすることもできるが、相手のことは自分がどうこうできる範囲外だみたいなことが書いてあった気がします。
「期待値マネジメント」は自分→相手に対する期待値のコントロールですね(自分の行動範囲内の話だからそりゃそうか)
この辺は頭では理解できるんですが行動にするとなると難しいところがあるので、個人的には課題ですね笑