思想としてのパソコン
序章
メインフレームに対する傍流としてのパソコン
コンピューター工学の偏りもこのことから
人の知能をいかに増幅するかが目的
インターネットがあってこそ栄えた?
メインフレームによるAIとパソコンによるIA(Inteligence amplifire)
反監視,管理を目的に生まれているのがパソコン
これからもその用途で使うべきか,使われるのかとは関係なしに
svgでハイパーリンクは可能?
パソコン性善説は持たない
マンLLMインターフェース
dynabook
staticな伝統的な本に対して
IAの大きな枠組みの中でAIの成果を生かそう
人間の脳みその働きに,数学のような置換可能な計算が想定されていた
これは極端かもしれないが,一種の情報処理装置として機械と接点を持つことはできるだろう
モダニズムにおいて,人体は機械と等しくされた
言葉を使うことと理性を持つことは機械には不可能という点から,人間は完璧に機械ではないという慰め
llmは言葉を使っているように見えるが
人間が機械なのかそうじゃないのかは>人間はガジェットではないでも
理性のみを抽出したいというキリスト教的な脅迫観念から来る機械化もある
神を作っている
人間は皆障害者ということを強烈に恥じている
パソコンを使って,アメリカのフロンティア精神によって統制可能にされようとしている?
侵襲性のある技術
フェイクにも触れられていて先進的
シンボルを操作する
われわれが思考するごとく
検索経路の開拓
昔のコンピュータの機能と言ったら,方程式を解くもの
コンピュータと知能
全てのデジタル・コンピュータは全てある意味で等価な機能をもつことから、電気の使用が理論的重要性をもたないとわかる。もちろ電気はたいてい高速の信号をやりとりする上で重要な役目を果たすので、神経系でもコンピュータでも電気が作動するのはとくに意外なことではない。神経系においては、少なくとも化学現象が電気と同じほど重要である。
化学計算とかできたら面白い
化学記憶とか
機械が人間ほど多様な行動ができないという批判は、記憶容量が少ないということを言っているにすぎない。
言語アレイのオンオフとしての文章
意識も光学素子アレイと同じ感じじゃないか
ある程度集積すると自由な形を作れるようになる
明確な境はない
機械には何かを作り出すことはできない
は完全に否定された
アランケイは何にでもなれる基本的マシンができることを信じて設計した
ちと冗長で読みにくいな
マシンサイクルを人間以外が回せるようになったら
臨界点を超える計算
飴と鞭は原始的な教育法
プアな情報量
ヒトとコンピュータの共生
「機械による拡張」は「ヒトの代替」となり、さらにオートメーションに座をあけわたし、ヒトは助けられるより、機械を助ける側になっている。
めちゃくちゃ今でも刺さるぞ
機械とのリアルタイムコラボレーション
インクリメント検索?
ヒトは柔軟で、新しく得た情報にもとづき「自分を思いがけないやり方でプログラムする」能力がある。
ヒトはノイズの多い、周波数帯の狭い装置だとも見なせる、しかしその神経系には、並行して同時に活動できるチャネル(経路)が膨大にある。
いまいちピンときてない
本ほど美しく、人間向きに設計されたメディアは存在しないので、本はヒトとコンピュータの共生においても、実用上重要でありつづけるだろう(やがてコンピュータが本の検索、配送、返却を迅速におこなうようになるとよいのだが)。
マジか,本が電子化するのではなく,本の管理を電子化したいのか
話し言葉のごとく自在に連結でき、いつでも必要な計算やコントロールを実行できるようなコンピュータ・プログラム
ヒトの知能を補強増大させるための概念フレームワーク
個人がシンボルの外部操作を制御する手段によって直接影響を受ける
今まで人工物ができるのは低レベルなプロセスだけだった
これらの潜在能力は以前は用いることができず、より高レベルの新能力のおかげで使用可能になったと推量されるわけだ。
>万物創生をはじめようでも語られてた、人間の能力は変化すると
きわめて現実的な意味で、「人工知能」の発達は何世紀もつづいてきたのである
LLMは思考の道具になるか
道具としてのLLM
どのレイヤーの道具なのか
むずかちい
未来の自動的HILAM/Tシステムが約束するものの一つは、ヒトが秩序立っていないプロセスを自由に扱い、その力を用いることができるという点なのである。
インタラクディブ・システムとバーチャルリアリティ
プログラムの知的存在のような見せかけは、たいていわれわれを迷わせ、いらだたせる。そのプログラムが本当は何をしているのか見当をつけるのに時間をとられるし、またこちらの思考のプライバシーにいらざる侵害を加えられるからだ。
エクセルはリアクティブに反応するというのは先進的だったよね
2次元はおいておいて
JOTシステムはlogseqに近いのかしら?
ズーミングしてそう
段落、文、単語を
コピーを防ぐにはどうすればいいか?どうしようもない。端末は各ユーザの手に握られているからだ。
しかし、システムには何でもずっと蓄積され、すぐに入手できるのだから、コストがかかり不便な自分用のコピーを作ってファイルに貯めこむのは、不必要と思えることが多いだろう
コピーガードはないのか
空間的な方向感覚を与え、ユーザが地図として思い浮かべられるようにすることが望ましい。
ユーザがいままでしていたこと、いましていること、これからすること、そして現在選択可能なオプションを思いつくようにしておく。
問題解決の先送り
これまで骨身を惜しまず取り組んできた柔軟な設計原理を、最後には確定し、コンピュータ操作という一定の厳密な形にしなければならない。
>人間はガジェットではないでも
インタラクティプ・システムの設計者は、たいてい技術に熟練しているが、技術に熟練すると、概して取組む対象がキチンと定義され確定したものだという先入観をもつようになる。
これにたいし、芸術や創造的分野に熟練すると、デザインは(あるいは文章や映画は)流動的で様々な形をとり、何度も練り直してようやく最終状態にたどりつくが、それは前の段階のものとは似ても似つかないものとなりうる、と考えるようになる。
>ハッカーと画家?
協調活動の設計における言語・行為パースペクティブ
限られた選択肢の中からタグ付けをして自動に応答のタグが限られるシステム
余分なアノテーションというより、テンプレートを選択する感じ
何やら難しいな
病院の話
https://dl.acm.org/doi/10.1145/637069.637077
看護師の間での戦場の話
サイバースペースの陥穽
画像という言葉の観念そのものまでが変化し始めた。これは新しい「文字」なのである
画像も誰かが操作したシンボルだということ
誰が公開した写真かが重要になる
日本の消費者は集団として、未使用テレフォンカードの形で二〇〇〇億円以上もの通話クレジットを所有しているのだ。この無償のクレジットの受益者であるNTTは、潜在的な貨幣を鋳造するだけの力をもっている
ビットコインの信用創造
少数の人々は、公益に対する実質的貢献とは比べ物にならないほどの利益を手にする
博物館の「現実」の作品は注意深く保存しなくてはならないが、そのバーチャルな画像は、サイバー・スペースという世界ネットワーク上をたえず流通するのでなくてはならない。今日、著作権という偏狭で硬直した概念に固執するならば、交差路の通行税や塩税といった、何世紀も昔の特権を思い起こさずにはいられない。
DRMは論外ってことだな
最後はバーチャルペイメントシステムを誰が独占するのかというはなし
ビットコインというものが生まれていてよかった
参考文献
https://calil.jp/book/4893620355#:~:思考のための道具%3A%20異端の天才たちはコンピュータに何を求めたか
https://calil.jp/book/4756104185#:~:リテラリーマシン%3A%20ハイパーテキスト原論
https://calil.jp/book/478285126X#:~:コンピュータと認知を理解する%3A%20人工知能の限界と新しい設計理念
https://calil.jp/book/4000044435#:~:聖なるヴァーチャル・リアリティ%3A%20情報システム社会論%20(21世紀問題群ブックス%2023)
https://calil.jp/book/4791753062#:~:ペシミスティック・サイボーグ%3A%20普遍言語機械への欲望
翻訳多くて嬉しい
いやおもしろかった
参考文献読んでいこう