段差はそれ自体で文脈を持つ
買い物
にんじん
じゃがいも
クリーニング
というリストはいいとして、
買い物
にんじん
じゃがいも
くつみがき
というリストを作ったとする。
さらに次の日、「きのうの、未完了・未着手タスクって何かあったかな」と、
メモ帳を見て、
買い物
にんじん
じゃがいも
くつみがき
と、記載されていたときに、それが「靴を磨くタスク」だったのか、「靴みがき用品を買う」というメモだったのか、思い出せるだろうか。
普通に、「買い物だけで疲れて、靴は磨かなかった」のかもしれない。
その日には、「スーパーマーケットに行ったらすごく混んでいて、上の階に上がって “靴みがきパフ” を買う気はなくなった」、のだったかもしれない。
「靴を磨く」というタスクだったのなら、粒度をそろえて別のツリーに書けば間違いようはなくなったし、買い物の一部だったなら、「〜用品」とか「〜(3F)」とか書いておけば、区別はつきやすかったかもしれない。
ただ、そこまで労力をかけずに使いたいのがメモだ、という感じもする。ikkitime.icon
rashita.icon
思い出せないとしたら、逆に段差はそれ自身で文脈を持たない、と言えるのでは。
リストが文脈を持つ?
なぜ思い出せないのか、あるいは普通はなぜ思い出せるのか。
不十分な記述でもリストが使えるときは、自分の記憶によってリスト(段差)の文脈を保管している?
段差が文脈を持つとは、どういう状況を指すか
おそらくこのリスト(というかメモ)は、当日ならばおおむね機能する。
メモを短期的な情報処理装置だと定義すれば、メモとしてのリストとしての機能は果たす。そのとき、自分の記憶の中に文脈が保存されているので、個々の項目が持つ情報の読み取り(解釈)は書いたときのそれに合致する確率が高い。
しかし、短期処理ではない情報処理装置(これをノートと呼ぼう)として見た場合、このリストはその機能をうまくはたせない、かもしれない。
それはなぜか?
段差がそれ自体で文脈を持ってしまうから
段差それ自体が文脈を持つが、その情報を記録したときの自分の文脈とズレてしまうため、という場合
段差がそれ自体では文脈を持たないから
段差それ自体が文脈を持たないので、記憶の文脈が失われたときに、その情報の読み取りが不安定になってしまうから
さて、どちらだ。
どちらの場合であっても、起こっていることはほとんど同じだということに気がついた
そこにある文脈が機能不全を起こしている
ikkitime.iconメモがノート化するときには、段差の持つ文脈を調整する必要があり、「単なる段差」の持つ「文脈」は「ある」のは間違いなくても、「不完全」なのも間違いない。
で、デジタルノートは(糠床のように常に手を入れてかき混ぜるとしても)最新ページのメモを継代使用できてしまう。
そこで、アウトライナーの速さの影響も手伝って、「粒度を整える」反射が生まれてくる
rashita.iconもし、そのタスクが靴磨きを行う(買い物ではなく)であるならば、それが未達だったときに、一つ段差を上げておけば、翌日以降の読み取りの可能性はあがったハズ。ただし、その操作が一手でできるのはアウトライナーだけ。
rashita.iconタスクの「処理」は、実行だけではない、という話に通じるな。
rashita.icon本来メモ→ノートは、そのまま移行できるものではないにも関わらず、デジタルノートではそれが行われやすい、と。
ikkitime.iconある意味、ダッシュボードやホームに我々が求める機能って、もともとそういうところがありますよね。inboxではないんだけど、それ性をある程度持っている。
rashita.iconつまり、何か情報をメモ的に保存しておけば、それがいい感じにノート的に表示されることを期待する、というような?
ikkitime.icon明日の自分は、今日の自分とは他人なんだけど、毎日メモを眺めて情報の引き継ぎをしている限りにおいては、そこまで変わるものでもない。プロジェクトもルーチンも、今日書いたことを、概ね明日も使う。
だから、いつの間にか看板が意味を失うこともあるし、
事前に構造を整え過ぎてしまうことも起きる。
rashita.iconこれはたしかにありそう。明日以降の自分が使うことを想定すると、「買い物」の下に「靴磨き」は置かないほうが良い気がしてくる。しかし、すべての項目にそのような「先回り」をすると、構造的破綻(いや、逆か。過剰な構造化)が起きる。
ikkitime.icon書き出しが重くなりますよね。
rashita.iconメモ感は薄れますね。たしかに。
rashita.iconだったらどうするのかと言えば、やはりDoMA式のまず書いておいて、その日の終わりに何らかの「処理」を行うことなのだろう。そして、もしかしたら、タスク管理や知的生産の技術におけるメモの扱いの技法で、もっとも言及され忘れているのが、そのような「処理」の技法なのかもしれない。「実行したら、消す」とかそういう話がメインで、それ以外の話があまり出てこない気がする。
rashita.icon混ざっていることがわかるのは後から、という言い方もできるかもしれない。リストを作ったときの自分の頭の中では、これらの項目はたしかに同一の文脈「今日出かけたときにやらなきゃいけないこと」に置かれていることは間違いないので。
ikkitime.icon「買い物」って見出しが本当は正しくなかったのかもしれないけど、その日なら使えるんですよね。
nora.iconもし「@ショッピングモール」という項目の下に並んでいたとしたら、「にんじん」「じゃがいも」は「ショッピングモールの中にあるどこかの店で買う」以外の文脈は持ち得ないし、「くつみがき」は「ショッピングモールの中にある靴屋で磨いてもらう」か「ショッピングモールの中にあるどこかの店で靴磨き用品を買う」のふたつの選択肢に絞られ、少なくとも「(用品を買う必要はなく)自分で磨く」という可能性はなくなりますね。
nora.icon「買い物」の三文字が元々持っている文脈(=お金を払って何かを購入する)と、自分が「買い物」の三文字に乗せたい文脈(=家ではなく外で済ませることor仕事ではなくプライベートでやること)の、どちらを選択すべきだったのかを忘れるのが「リストが使えなくなる」の原因?
nora.iconつまり、文脈が「ない」のではなく、「複数本ある」という問題。
nora.icon文脈は実のところ「持たせるもの」のではなく、「絞るもの」というイメージがあります。
nora.icon「買い物」の下に置かれた時点で、「くつみがきの五文字でググる」とか「くつみがきの話をニュースで見た」とか、そういったメモではないということは明らかになります。つまりここでも既に文脈が絞られている。
ikkitime.icon確かに!
「あとでググって言葉の意味を調べる」というタスクではない。
ikkitime.iconでもってw ここで「クリーニング」の話題を出した時点で、私の頭の文脈には、例えばTak.さんが見えている。
さらに、「でもって」のあとに「w」が置かれている時点で私の脳内には倉下さんがいるという。
rashita.iconただ、毎日目にできるメモの総数には生物学的上限があるので、結局何かしらのメモからは文脈がこぼれ落ちていくので、メモ→ノート(ノート化と呼ぼう)の作業はどこかで必要になってきそう。 ikkitime.icon因数分解
18+27
=9×(2+3)
このとき、"9"という「見出し」は、両方にかかっているし、9の影響を受けていない要素は括弧の中には入れない。
nora.iconくつみがき問題(?)についてですが
買い物
にんじん
じゃがいも
――
くつみがき
というふうに区切り線を入れて、「当日の意識としては『買い物』の下にえいやと入れてしまいたい」というのを残しつつ、「にんじん・じゃがいもの買い物とは違うやつ」というのがわかるようにしたならば。
まだ確実に「くつみがき」の意味するところを思い出せる保証はないが、階層を変えずに文脈を増やすor分けるということはできそう
「買い物」という親項目から抜け出させてより適切な場に配置し直すエネルギーを費やすまでしなくとも、少しの補正ができる
区切り線を入れるというエネルギーは必要だが、構造を改めるよりは軽い
最初に「買い物」の下に入れてしまったからには、そこに入れたい文脈があったのであり、それをその時点で、或いは事前にコントロールするのは難しそう
マインドマップなどではなくて一列に並ぶアウトラインだからできること