いかなるものであれば体系的といえるか
たとえば、「知的生産の技術を体系的にまとめる」といった場合、どのような性質を備えたまとめであれば、それは「体系的」と呼べるだろうか。 ikkitime.icon⇒「体系的に学ぶ」も、どうなることなのか不分明……。「必要な部分だけ場当たり的に」ではない、ということだけは分かるのだが。
網羅的でありながら強弱も付いている、というのが基本的なところか。
ただ、「表層をコピペしただけでなく」という印象としてだと、テストと実践と復習も含まれていてほしいのかもしれない
nora.icon
私も「体系的」を簡単に使ってしまいながらよくわからないでいますが、網羅+構造化+順序づけ、というイメージはありますね。
「体系的にまとめる」は全体を網羅して構造化すること、「体系的に学ぶ」は全体を構造化してあるものに対して適切な順番でお行儀よく学習していくことという印象。
「体系」は「論理的に組織された全体」という意味なので、全体であること、論理によって秩序が形成されていること、がとりあえず要件となるような気はします。 しかし、たとえば「知的生産の技術」というテーマに於いて如何なる秩序が体系として適切と判断しうるかは今のところよくわかりません。
sta.icon
以下条件を満たしたものが体系である、というアプローチで攻めてみた
論理性
体系Aは、論理を積み上げていくものである
統一性
体系Aは全体として、あるテーマXを統一的に主張している
俯瞰性
体系Aは、自身の全体を眺めるための俯瞰機能を持っている
網羅性
体系Aは、自身がカバーできる事象を(できるだけすべて)捉えきれている
再現性
体系Aは、仮にゼロから誰かが構築し直したとしても(同じ部品を同じ組み合わせ方で組めば)同じAが出来上がる
5個なのが微妙
7個くらいある気がする
たとえば「ボリューム」もありそう
10行の箇条書きで記述しきれるものは、体系とは呼べないだろう(大げさすぎる感)
「構造」という言葉はまだちょっと理解しきれてなくて扱えてない
再現性が微妙
「再現」という言葉が頭から離れなくて、強引に定義した感がある
rashita.icon再現性は、体系が担保するものではないのでは、という予感。
たとえば、~~の技術の体系、といったときに、技術が担保するものの雰囲気。
上記の意味ならば、「唯一性」(組み合わせがそれしかない→誰がやっても同じAができあがる)のような言い方がフィットするかも。
ただ、体系にその要素があるのかはイマイチ確証がもてない。
たとえば、経済学を体系立てて説明する試みはいろいろなバリエーションがありえそう。
むしろ、複数人の合意によって成立した体系は「強度が高い」といった感じが近いのでは。
僕もこっちかなと思えてきましたsta.icon
唯一性というより、ある「強度が高い体系A」が選ばれて鍛えられ続ける(のでAは出来が良く、唯一に見える)
nora.iconそういえばそもそもの話として「体系的につくる」と「体系としてつくる」はイコールと言っていいのかが曖昧という感じがします。(上の方で私自身が最後に混ぜてしまったわけですが)
つまり、「体系」の定義と「体系的」の定義が違ってしまうのでは。
「体系を構築する」のは正直容易でないと思うのですが、「体系的に構築する」のはある範囲を任意に区切った中でそのようにするということが許される気がします。
rashita.icon上の書き込みをみて思ったのは、たとえば「知的生産の技術を体系的にまとめよう」という気持ちがあるときに、
体系的にまとめたときどんな嬉しいことがあるのか、あるいはそれをしないとどんな悲しいことが起こるのか、が気になり、
それを考えるために、「じゃあ、体系的にまとめるって、どんな要素を満たしたものなのか」に疑問がスライドしてきたんだな、という自分の関心の流れを再確認しました。
たくさんの技術があることは間違いない。それを単に自分で理解するだけでなく、他の人にも「使える」ような形で提示したい。その際に「体系的にまとめる」というアプローチが有効なのかどうか。
有効であるならば、なぜ有効なのか。
それを考えたいのが、主の疑問だったのだと感じます。
あと、『知的生産の技術』の中で、梅棹もこの本はぜんぜん体系的ではないが、今後はそういう体系化が発達するであろう(あるいはしてほしい)という旨を述べていて、それに共感する気持ちもあります。
たとえば、知的生産の技術のそれぞれに何かしらの名前を付けてそれをアルファベット順で並べたとして、その「まとめ」方は、技術を「使う」ためにはあまり役立たないだろうな、という予感があります。