馬場菊太郎
1905年 - 2001年11月30日
急性肺炎にて帰らぬ人となられた.享年96歳.
#鰓類学 者。日本の後鰓類研究者の第一人者である。 馬場は多くの海外の研究者と最新の知識を交流することで、日本での数少ない後鰓類専門家となった。その研究は日本の後鰓類の多様性を世界中に知らしめることになり、世界中の後鰓類研究家から敬愛された。
昭和天皇が収集した後鰓類について図譜の解説をするように下命され、『相模湾産後鰓類図譜』(昭和24年)、『相模湾産後鰓類図譜補遺』(昭和30年)を発表する。
その後晩年まで研究を絶やさず、他界寸前まで研究は続けられた。生涯に記載した後鰓類の新種は約112種。最後の研究は濱谷巌と共著となった「日本産ショウワアメフラシの記録」である。本文献は濱谷によって馬場の死後の2003年、日本貝類学会より公表された。
1970年に過去の採集記録と原図を基に学術雑誌『The Veliger』に発表されたのが,日本産 Janolus 属の新種第1号である #コヤナギウミウシ と #カラジシウミウシ であった。