モーショングラフィックス文化とTVアニメのクレジットシーケンス
「モーショングラフィックス」という言葉を最初に用い始めたのは、CGアニメーションの父と呼ばれるジョン・ホイットニー 「映画のタイトルにおいてソール・バスが確立に尽力してきたような明確な表現性(articulation)が成立する場合、それは成功だといえます。しかし、そのタイトルが効果的な動きや明確な表現性を欠く場合、それは本のカバーデザインみたいなものです。この明確な表現性こそが私が『モーション・グラフィックス』という言葉で言及しているもので、デザインの領域におけるまったく新しい課題なのです。この領域についてはほとんど探究されていないため、デザイナーは細心の注意と適切なチャレンジ精神をもって取り組まねばなりません。」(John Whiteney, Digital Harmony, On the Complementarity of Music and Visual Art, Byte Books, 1980, pp. 156-157より一部意訳) 『黄金の腕』(監督:オットー・プレミンジャー、1955)タイトルバック
>リズミカルな長方形の図形とタイポグラフィによるモーショングラフィックスが、それらの抽象映画と同様の、音楽を目で見ているかのような演出する ソール・バスの代表作
>ソール・バスはバウハウス出身のジョージ・ケペッシュに学び、その視覚言語の考え方に影響を受けていた。> 本展では実際のものから架空の提案まで企業ロゴを動かした作品が提示
日本に「モーショングラフィックス」という言葉が普及するきっかけ
2006年には『日本の映像作家100人 Japanese Motion Graphic Creators』(ビー・エヌ・エヌ)という年鑑が刊行 ◎動画プラットフォームとコミュニティの結晶化
クリエイターたちの受け皿となったのがYouTubeの一年ほど前から存在していた「Vimeo」という動画プラットフォーム それまでは映画祭やDVD
モーショングラフィックスは各スタジオのサイトに埋め込まれた低画質の映像か、DVDマガジン『stash』(Stash Media Inc.)に収録されたものを鑑賞するような流れがせいぜい ◎モーショングラフィックスとクレジットアニメーションとの接続
クリエイティブディレクターの川村真司とVimeo上で話題作を発表していた映像作家の細金卓矢 2010年代前半にはTVアニメのクレジットタイトルにYoutubeで話題を集め注目されたMVやTVCMのディレクターを起用する流れが生まれていった。
◎高精細化とビジュアルデベロップメント
Ash Thorpが2015年に発表したデジタルクリエイターのカンファレンス「FITC Tokyo 2015」のOPムービー 『すべてはFになる』のEDを制作した橋本麦や、スタジオカラー制作の『龍の歯医者』のOPアニメーションを制作した千合洋輔と荒牧康治は同作の影響を公言している。 ◎セルアニメとの融合へ
モーショングラファーがこの「撮影」も担うようになってきた
神谷雄貴
実写MVの監督キャリアを活かした照明効果