Making of “Kindolphin”
UIは白と黒の二値だけで作りつつ、最前面に色面のdivを置いてmix-blend-modeでページ全体に色をまぶしてます。
描画技術の痕跡を限りなく消し込んでハイファイな滑らかさを目指さずとも、筆致それ自体を面白がる態度があっても良い リファレンス等で挙げられている作品/文献/人物
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CG実験主義(CGI Experimentalism) CGIの荒野 僕らがDavid O’ReillyやCGIの荒野から学べるのは、こうした多元的な制作観です。そうした視座から今までのCGやアニメーション表現というものを振り返ると、物理ベースレンダリングや12のアニメーション原則が目指すリアルさやリッチさは、数多ある正解の一つに過ぎないと相対化できるように思えてきます。「別にそれだけを目指さなくてもいいのに…」というお気持ちの芽生えです。 ディスプレイやハードウェア性能の限界を逆手に取って、ピクセルアート的な美学や使い心地の楽しさを確立するのに成功した例
思い出したかのように一昨日再インストールしてみたのですが、iOS 17.4でもちゃんと動くのすごくないですか? インタラクティブ表現ってとにかく残らない。というか作り手に残す気があまり無いのがいつも悲しいんです。
淋しいのは、どれも今はほとんど動かないんです。画面キャプチャとしてアーカイブしているプロジェクトもあれば、OK Goのようにブラウザの枠を取り払ったスプリットスクリーンMVとして公開し続けているものもあります。
この時代の作り手は「残す」ことによくも悪くも興味が無いんですよね。それが広告屋ゆえの気質なのかは分かりませんが、建築家というより花火師に近いというか。
広告屋の花火師感とてもわかる。残らなくていいと本当に思っている。
とはいえ持続可能の感覚が広告にも持ち出されていた気がする。そこらへんで早々に広告業界からは退場してしまったが……
『Take On Me』や『Star Guitar』、『日々の音色』は残っているのに、はるかに時代が下ったこうした作品群が10年足らずで見れなくなって、何の編纂もされずに放置され、語られない、というか語ることができないのは、なんだか文化的にもったいないことだなぁと思っています。
「MUTEK.JP 2022」で行われた初のオーディオ・ビジュアルライブの裏側を語るTRIP#6 YOSHIROTTEN
dir.川村真司+清水幹太
そういえば、川村真司作品は『日々の音色』が最高傑作なのは前提として、実は長添さんやショウダさんといった映像ディレクターを立てずに頑張って演出されたような仕事が好きだったりします。佐藤雅彦研時代の彼の習作を観ているような、なんというか素朴さと可愛げを感じるんですよね。その味わい深さに本人がそこまで自覚的じゃなさそうなのがいい。
ちょっと変態的な表現で面白い。
Vimeoカルチャーの出世頭ことDanielsの『Everything Everywhere All at Once』(2022)のCGを彼らの友達5人で作った話