マニエリスムとエコロジー、議論
マニエラというイタリア語が語源
英語ではマナーにあたる
マニエリスムをどう捉えるかに、
エコロジーのミメーシス、あるいはメタファーとしての芸術
イデアと様式による芸術への転換
↓
その後様式の超越、イデアの超越を目指すシュルレアリスムの系譜へ。
Miyabi.iconこの辺りが概観
芸術と自然の関係で見るマニエリスム
自然→ミメーシス(シャーマニズム的なヴァナキャラーな民藝)
→表象とメタファー(マニエリスム的転回、表現が
→シュルレアリスム
→コンセプトとコンテキスト(デュシャンの系譜)
☑️表現としてのマニエリスム
様式的
Miyabi.icon様式をどう見るかだ。記号と見てもいい。
文章を書きなぐる。
Miyabi.icon
マニエリスムをある種の再、転換点として見るのがよい。ある意味で都市の古典的な美術様式、まだ自然のミメーシスを残した、神代の芸術の復興(ルネサンスは、都市化と農耕化のとめどなき中にあって憧憬であり回帰であった。
しかしその中で本来的なエコロジー、純粋自然は失われて久しく、この回帰もシャーマニズムやスピリットに始まる古代のそれではない。あくまでも都市、ポリスといった原始的な都市単位の自然文化への回帰であっただろう。
そんな中でのマニエリスムは、新しい自然への序章と見ることも出来る。それは、ユクホイの言う「アプリオリなものが、アポステリオリになる」という技術と都市の自然であり、差異と反復、記号の集合的予測符号化による都市の自然、
あるいは「記号の自然」の世紀による、新しい自然と環境の世紀の序章である。
マニエリスムは平面化、身体の歪みと延長
こうした極めてシャルレアスティックな自然は新しい秩序とエコシステムで拡張していく。それが、
ミメーシスから虚構論理へ
✅エコロジー論
② 排他的な空間性を前提とした学問領域]]
自己から展開するのでは、マクロ的な相互作用を考えにくい
時間と空間がボトルネック
立脚点を消す
中心と辺縁をいかに消すか
自然の概念を消そう
超越論的自然・超越論的人間
非超越論的自然の中の人間
マニエリスム性
ミメーシスの否定性
一般的なマニエリスム
表象の徹底化(写実的自然主義の否定性としてのマニエリスムなのか、その徹底としてのマニエリスムなのか)
写実主義やミメーシス的伝統が徹底化マニエリスムになる
まず、マニエリスム的なものも自然と認めよう。
誇張表現
マニエリスムをミメーシスの徹底化として捉えるなら、自然を超越論的自然として徹底化したエコクリティシズムは相似である。
マ二エラという前提
形式・/様式
Miyabi.iconこれは一般的には記号と表現できる
それから超出、変形、敷衍、多重化するマニエリスム
マニエリスムは記号の運動そのもの、マニエリスムで記号を理解できるし、記号でマニエリスムを理解できる
物語
参照点の提示
認識と学習のレイヤーで記号が立ち顕れる
そこに思考する存在者を仮定することが必要
記号には認知が必要
浮遊可能な再帰的自然としてのエクリチュール
作者の死
作者がいたら再帰的自然は浮遊不可能である。
聖典化
記号の営みとしての歴史
今の記号に埋め込まれたコンテキストとしての歴史
アメリカの歴史がない
マニエリスムが過激化する
アメリカ映画
歴史のなさ
主体がない
あなたが始点であり、あなたからすべてが始まる(わかりやすさ)
歴史がないからこそ主人公が自らに帰する。これはまさにネオリベの存在論
記号の意味解釈におけるコンテキストとマニエリスムにおける