においの歴史
知覚闘値が厳しくなった結果、たんに糞尿的臭いに対する非寛容が呼びさまされただけではなく、当時しだいに厳密に、しかも正確に規範化されつつあった礼儀作法の精神において、私的な身繕いの社会的機能もまた強調されるようになる。人に不快な思いをさせぬよう、きつい香水も、不謹慎な体臭も、共に慎まなくてはならない。
Miyabi.icon香水の誕生
公衆衛生が進化したことで、
フランスにおいては18世紀〜
しかし、基本的には貴族社会の概念
かくして、ようやく身体衛生というものが前面に現われてくるが、それはいたって慎重なもので、たんに自信に欠けるばかりか、さまざまな制約によって範囲が限定されている。生気論者や医学的機械論者は水の乱用に注意を呼びかける。
ボルドゥーは生命力の喪失を指摘したが、それは水にふくまれる唯一の危険ではない。度を越して風呂を利用することは、繊維を弛緩させ、生体を柔弱にし、無気力をひきおこす。一方、かつてボイルとランチーシがしたように、アレも石鹸の酒毒効果を力説する。とくにペスト流行時には効果は大きいとい引。道徳家たちは、入浴に付随する、自己満足、官能的な視線、自己色情的な誘惑といったものを危惧する。この当時の化粧室では、私生活は誘惑から守られていなかった。すなわち、裸体には危険が内包されていたのである。
いずれにしても、こうした入浴は、一部のエリートに限定されているだけだった。流体にかんする理解の不足のせいで、私的な身体衛生の観念が広範囲に普及するのが妨げられたものと思われる。さしあたって、当時流行していたのは、水の集団的利用であれ。たしかに風呂の利用はこの世紀の終わりに、少なくともパリにおいてはかなり広まるが。それはなによりもまず治療的な実践を意味していた。
香水の新しい使用法は、社会のエリートのあいだで、身繕いのしきたりが刷新されたのと一致している。くりかえしていえば、きつい香水という覆いによってかえって自己の不潔さを人に教えてしまう愚は犯すべきでないということである。むしろ逆に、自己の独自性を示す体臭がおのずと漂いでるようにするほうが好ましい。その人の魅力を、明らかな調和によって強調できるのは、念入りに選び抜かれた、ある種の植物性の匂いだけである。姿見(セルフ・ルッキング・グラス)の普及にともなって、女性のあいだで、自分の香気を呼吸し、調整しようという関心が高まってくる。デリケートな匂いの心理的・社会的機能が新しい流行を正当化する。「私たちが自分自身を好きになるためには、なにがしかの努力をしなければなりません」と香水屋のデジャンは植物性の香水の使用法について書いている。「これをしておけば、私たちは人の集まりのなかでも陽気でいることができます。そしてそのおかげでほかの人からも好かれるようになるでしょう。社会はこうして出来上がっていくのです。もし不幸にも、自分自身のことが好きでなかったら、いったい、私たちはだれに好かれるでしょうか」。こうした指摘は、つとにロジェ・シルチェが初等教育の教科書にかんして力説したように、ある最も重要な変化が起きつつあったことを確証していあ。
すなわち、ある種の礼儀作法、とりわけ他人が不供に感ずるのを避けるための礼儀作法の規範が、同じく自己愛的な満足を目的とする一群の衛生学的な教えのほうにむかってゆっくりと歩み寄っていったことである。女は自分の匂いが他人にかがれることを望む。つまりこうした形で自己表現の意志を明らかにするのである。
女は自分の匂いが他人にかがれることを望む。つまりこうした形で自己表現の意志を明らかにするのである。女は、こういった肉体の躍動への慎ましやかなほのめかしによって、またこうした艶の探求によって、夢と欲望のある種のアウラを創りだす。たんなる匂いの寄せ集めから嗅覚的な自己表現への変化が徐々に輪郭を取り始める。
微妙な差異と繊細な感覚からなる新しい流行は、ロベール・モージが指摘した次のような歴史的事実を反映している。
すなわち、挑発された感覚から歓迎される感覚へ、人工から自然への移行である。今度は、漠とした誘惑が官能的衝動のきっかけとなる。ここでもまたデジャンが書いている。「いまでは嗅覚の快楽を満足させるために、人びとはかつてのような激しく強烈な匂いをふりまくのではなく、識別も定義も出来ないような淡い香りで体を覆うようになっています」。 動物性の匂いの失墜へ
香の機能は、体の線を強調するコルセットのそれと同じものだったのである。性的嗅覚学の権威であるヘイゲンによれば:女性たちは、この当時までは、こうした目的のため、最も強烈で最も動物的な匂いを追いもとめたという。
このような観点から見ると、十八世紀末における動物性の香水の衰退は、性臭の「原始的な価値」の下落をたんになぞったにすぎないことになる。ハヴロック・エリスは、ボルドゥーが恐る恐る行なった分析とおなじ結論に達する。ヨーロッパの男女は、このときから、不都合なものと化した体臭をますます巧みに隠そうと努力するようになる。すなわち、嗅覚の性的な役割を否定するというか、あるいは少なくとも嗅覚的な興奮と暗示の領域を移動させることになる。なぜならば、これ以後、内密な結びつきを予告する役割は、あくまで汗のデリケートな匂いであって、分泌液の強烈な臭いではなくなるからである。性的な誘惑の歴史の中で、これほどの重要度を持つ転換はこれまで一度も起こったことがなかったにちがいない。いや、それには例外がある、とフロイトはその二二年後にぶことになる。すなわち、人間が二本足で立ち、その結果、初めて性的欲望のきっかけとしての嗅覚の役割が弱まるようになったときである。
ルイ十五世の宮廷では、毎日、異なった香水を用いることが礼儀作法で決められていた。パラ水の大成功・スミレ水、タイムホ、そしてとりわけ、ラヴェンダー水と日ーズマリー水が加わる。「ラヴェンダー水は化粧室と衣装部屋の清潔さを保つには最適のものである。
ハヴロック・エリスはこうした麝香の失墜を性科学史の重大事件として正しく分析している。エリスの考えるとこちでは、十八世紀の末までは、女性が香水をつけるのは、当時いわれていたのとは違って、自分たちの体臭を隠すためではなく、それを強調するためだった。麝香の機能は、体の線を強調するコルセットのそれと同じものだったのである。性的嗅覚学の権威であるヘイゲンによれば:女性たちは、この当時までは、こうした目的のため、最も強烈で最も動物的な匂いを追いもとめたという。
ナルシス(水仙)の香り
開かれた感受性は、感覚論的モラルの命じる第一のものである。というのも、この感受性のおかげで洗練された感覚を受け入れることが可能になり、その感覚が喚起する快楽や感情を感じ取ることができるようになるからである。ルソーはやがて、事物の選択と配合を基礎とするこうした感覚の芸術を幸福追求のテクニックの第一番目にすえる。こういった難しい計算の裏には、頒しい感覚から自己を守ろうとするたえざる気づかいが含まれている。
煩わしい感覚というのは嫌悪をひきおこさぬまでも、放心を生みだしかねないものなのである。したがって、嗅覚の真の快楽を味わうという行為は、泥土や推肥、生体の腐敗、谷間の狭い耕作地や都市の狭隘な場所などといったものから遙か遠くに逃げ去ることを前提にしている。
Miyabi.icon幸福追求にとって必要な開かれた感性の為に、煩わしい感覚から逃げ去らなくてはならない
田舎もまた人びとに脱出を余儀なくさせる。村は汚水溜めと化してしまった、とジラルダンは断言する。「肩をよせあうように並んだ百軒ほどの賞茸きの農家が私の目に入った。それは何ともおぞましい塵芥の山で、街路、牛小屋、野菜畑、塀、湿った床や屋根、そしてさらには古着や家具までが同じ一つの泥沼にしか見えず、そのなかで、すべての女が叫び、すべての子どもが泣き声をたて、すべての男が汗をかいているのだ」とオーベルマンは嘆くことになる。https://scrapbox.io/files/66ec1a0427a4d5001d55233c.jpeg
のちに山趣味を広めるのに大きな貢献をするラモン・ド・カルポニエールの目から見ると、こうした「発散物の拡散」は水平面でしか行なわれていないことになる。彼は平野ないしは谷あいの民染性を明らかにし、エリートは高い場所に移動することによってこうしたものから逃れるべきだと主張した。
すなわち、垂直方向に逃げさるならば、人間のひしめきあいから発生する悪臭は、もっぱら狭い場所に閉じ込められている民衆に任せておくことができるというわけである。
富める者は純粋な空気を享受すべきである。富豪の邸宅の大きな窓や周囲の広々とした空間だけでは十分ではない。トロンシャンは金持ちには散歩をすすめる。散歩はいきさか空気の入れ換えに役立ち、よどんだ空気の中にじっとしていることの予防にもなる。
とはいえ。こうした基本的な定型は超克するにこしたことはない。嗅覚は、感覚/感情の創出に変化を持たせようと望んでいる芸術家の感覚的なパレットの中に入ってくる。感情的戦略を肌理細かなものにしようとするときに、香りは有力な補助手段ともなりえるのである。したがって、諸感覚のそれぞれに割り当てられたものだけに分析を限定するのはあまり適当なこととはいえない。すなわち、そうした態度は「交感する知覚」の探求というものを否定することになるからだ。
ヒルシュフェルトによれば、この交感する知覚がなければ庭園は感覚的横溢の場所とはなりえないという。「新緑と遠くに聞こえる笑い声で飾られた田園風景は、そこにナイチンゲールの鳴き声と滝のせせらぎが同時に聞こえるとき、そしてスミレのしい香りを吸い込むことのできるとき、より一層魅力的なものとなる」。
Miyabi.icon情動的記憶と嗅覚
嗅覚はその大部分が四季の主題に属し、これまでにも、倦むことなく取りあげられているが、このテーマについてはいまさら詳述するまでもあるまい。
だが、そこには新しい要素もある。それは情動的記憶の最揚力である。ルソーの言い方にしたがえば、<記憶のしるし>)の探求ということになる。すなわち嗅ぎ分けられた匂いによって過去と現在を劇的に重ね合わせることである。
こうした予期せぬ結合は時間性を絶するどころか、自我に自らの歴史を実感させたり、開示したりする。微妙な香りが次第に流行するようになって、記憶された他者のイメージに詩的な広がりが加わってゆくが、それと並行して、文学の中の嗅覚的描写が、無意識的記憶をめぐってはっきりとした姿を取るようになる。例は二つにとどめておくが、あげようと思えばいくらでもあげることはできる。
「匂いのなかには、よくはわからぬが、過去の記憶を強く喚起する何かがある。大好きだった場所、なつかしい場面、過ぎ去ってしまったあと心のなかにはあれほどの深い痕跡をのこしながら記憶のなかにはなにも残っていないあの時間、こうしたものについて、匂いほど思い出をよみがえらせてくれるものはない。スミレの匂いは過ぎ去った幾年の春の喜びを魂に取り戻してくれる。私は、花咲いたシナノキが証人となった、人生で最も甘美な瞬間がどのようなものだったか覚えていないが、シナノキがしばらく前から静かに私の心の琴線をゆらし、すばらしかった日々に結びついた無意識的記憶を深い眠りの底から蘇らせるのを感じていた。私は、心と思想のあいだには一枚のウェールがあることに気づいていた。それをめくるのは甘美なことかもしれないが、もしかすると・・・・・悲しいことなのかもしれない」とラモンは一七八九年に書いている
p110
(109b) Saint-Lambert, Les Saisons, p. 35, LFv|# Robert Mauzi, op. cit., p.320.
嗅覚は、他の感覚以上に、世界という組織体のハーモニーを感じ取ることを可能にする。自然の匂いは、はかなさそれ自体によって、こうした宇宙的調和についての感情を生み出す。死が理解不可能なものに思え、より良き世界への希望が生まれるのもこういった感情のおかげである。「つかの間の衝撃」は「突然の呼び掛け」となる。ロベール・モージはとの変化の深さを明晰に分析している。「自然と人間のあいだの一体感は、内的な合一が可能だという幻想を人間にあたえる。感覚は、いったん切れてしまった心と精神の間の糸を結びなおす。たんなる香りが自我意識の覚醒をもたらす。こうした自我の自覚の結果、それまで無縁なものだった自然が自我に結びつけられることになる」。
このような共存の経験は新たな官能を明示する。
それはもはや本能の渇望ではなく、ヴァトレが定義したように、「外部の事物と感覚と魂の状態との間の最も完全な関係」を基本とする芸術のことである。こうして、どれほど人目につかぬ花にもそれなりの目的があることが明らかにされる。そうした花はさながら「人間のためにだけ作られたかのように思える」。洗練された感受性に恵まれた人間は嗅覚のめくるめくような力を思いのままにすることができるが、セナンクール以上にこうした力を見事に表現した者はいない。春の花々は選ばれた者の魂に「より内密生」への突然の呼びかけを行なう。「貴水仙が(推壁の上に)咲いていた。それは欲望の最も強い表現で、その年最初の香りだった。わたしは、人間のためにあらかじめ用意された幸せをつくづくと感じた」。「大部分のひとは植物が発散する匂いと、この世の幸福を得る方法との間によもや関係があろうとは気づかないだろう。彼らは、そのために、こうした関係についての感情を一種の想像力の誤りと見なしているのではなかろうか。人によっては全く異質なものに思えるこうした二つの知覚は、それらを結びつけている鎖をたぐりよせる術を心得ている天才にとって、それほど異なったものではないのではなかろうか」
野に咲く花の重要性はいくら強調しても強調しすぎることはない。それは慎ましく、自然で、気まぐれな香りを持っているが、その香りは天が花に無償であたえた才能であり、心の最初の動きを価値あるものにする無限の航跡である。野の花は、測り知ることのできぬ欲望を明るみに出し、乙女のイメージが形作られる際の原型を描きだしていく。
p113
まとめ
ところで造園家によって造営された庭園を見ることよりも、また眠々たる山岳を眺めることよりも、あらたな官能性への道を容易に開くもの、それは黄水価の香りである。このように春の匂いをめぐってさまざまな機能が輪郭をあらわにしてくるが、嗅覚美学の時代が到来したときには、その機能は徐々に香水へと付与されることになる。
だが、さしあたって重要なのは、肉体、そしてとりわけ環境を脱臭化することである。その目的は、人びとに感覚的な落ち着きを与えることであり、この落ち着きがなければ、自我が官能的な衝撃を受けることはありえないのである。
Miyabi.iconこの一文がまとめ
これらの歴史的事実はそのどれもが、悪臭に対する許容限度の厳格化、微妙な匂いの香水の流行、身体衛生の一定程度の発達等の説明となっている。知覚革命は、膨大な量の医学的言説を生みだすことになったが、この医学的言説は、見方によっては悪臭追放の手段とも見え、また同時に悪臭追放の前提となった人類学的変動の要求する代価とも思われるものなのである。ところで、知覚革命それ自体は、このような医学的言説をはるかに超えたところで、社会全体にさまざまな形で大きな影響を与えていくことになる。
p115
恐怖政治のもとでは、香りは政治的立場をあらわしていた。香水は、新しい名称を授けられて、党派のしるしとなっていた。サムソンのポマードをつけることは、愛国の土たる念の表明であった。「シャツやハンカチに百合の香水や女王の水をあくませるのは、粛清をたたえギロチンをたたえることであった」とクレーも書いていか・テル
ミトールの後になると、ミュスカダンたちが香水をふんぷんとさせて、反動的立場をかざした。一八三〇年革命の折にも、同じように香りが政治と結びついて、「立憲玉政庁」とか、「栄光の三石鹸」とかいったしものがはやることになるだろう。
むすび
むすび
十九世紀の人びとは自分たちの欲望を声高に口にし、歴史のいたるところでその声が聞こえてくる。民主主義者たちは「美しき」共和国に夢をはせ、ミシュレは「民来」を発明し、社会主義者たちは人類の幸福を思いえがき、実証主義者たちは大衆の教化を説く。けれども、こうした希望の上げ床の下に、もうひとつの言説が、気や香水や黄水仙の語りあかす言説が存在している。動物性の強烈なにおい、つかの間のあえかな香り、それらは反感と嫌悪感を、共感と誘惑を物語っている。
リュシアン・フェーヴルの教えをよそに、歴史家たちは、感覚にかんするこのような資料にとりくもうとしてこなかった。嗅覚は蔑視の対象とされ、ビュフォンからは動物的な感覚といわれ、カントからは美学の領域からしめだされ、さらに後になると、生理学者によってたんなる進化の残滓とみなされ、さらにはフロイトによって肛門性と結びつけられて、嗅覚は蔑視されつづけ、においの語りだす言説はタブ1あつかいにされてきた。けれども、もはやこれ以上、知覚の革命に沈黙を強いることは不可能であり、この知覚革命こそ、いまわれわれをとりまく無臭の生活環境の前史をなしているのである。
決定的な局面をむかえたのは、一七五〇年と、一八八〇年、前パストゥール期の神話が勝ちほこっていた時代であった。これまでの科学史は目的論的で、もっぱら真理の追求にのみとらわれ、過誤のひきおこしたさまざまな歴史的諸結果に眼をむけようとせずに、これを見すごしてきたのである。
一七五〇年頃、プリングルとマック・ブライトの行なった腐敗物質にかんする研究によって、いわゆる気体化学なるものが台頭しはじめ、都市病理学らしきものが現われてきて、そこから、これまでにない不安感がかきたてられてきた。糞便、泥、便槽、死体といったものが、選しい恐怖の念をよびさましたのである。社会階層のピラミッドの頂点から底辺にむかって、恐怖感が伝わってゆき、臭気をしりぞけようとする動きがにわかに激しくなった。腐敗がほうぼうに広まるのを防ぎ、むかつくような腐敗の脅威からのがれるために気のありかを探知する責務を、ほかならぬ嗅覚が担わされたのである
においと都市Miyabi.icon
その当時の学者たちは、においにかんしてなみはずれた識別力をそなえており、彼らの星示する都市像は、臭いに応じて区別され、上下に階層化されていた。とにかく、疫病の温床となる悪臭ただよう住まいがありはすまいかと、その恐怖感からできあがった都市像だったのである。エリートたちは、そうした血膿の沼にたいする恐怖にとりつかれて、社会にたちこめる臭気をのがれ、芳香ただよう草原に逃避してゆく。そこで彼らが見出した黄水仙は、彼らに自我の言葉を語りきかせ、「もう二度と」というあの詩情をよびおこして、世界と自己の調和に眼をひらかせてくれる香の生殖器ちかくにある裏、それも、腐敗性の裏からとれる香は、動物性のもの、「再帰液性」のものだからという理由で、嫌われはじめてゆく。香とて、脅威の種の一つに数えられるのである。女性の体臭を連想さるその臭いが耐えがたいものと感じられるようになる。新しく、ほのかな香りがはやりだして、宮廷から香は追放されてゆく。そのかたわらで、衛生学者たちは戦略を練り、公共空間の浄化をはかり、除臭にのりだそうとする。
大革命が終結すると、屁体が人びとを魅惑し、植物性の香りがうとんじられるようになって、香がふたたび返り咲き、象徴的な価値をになう。あびるようにオーデコロンをつけ、動物性の香水のむせかえるような香気にひたりつつ、皇帝夫妻はバラ水と緑をきったのだ。王政復古もまた、においの位階のなかに表現されている。フォブール・サン=ジェルマンの人土は、においにかんしては、貧血症の娘そのまま、病的なまでに繊細な感受性をしめし
ノヴァーリスの夢想にはじまって、花と乙女と女のあいだに、象徴の数々によって織りなされた無言のディアローグがかたちづくられてゆく。ほのかな、植物の香りが、この対話を誘いだし、その言葉をいやがうえにも繊細なものにする。このような対話は、身体的な距離を保ちつつ、それでいて、欲望を語りあかし、女の側からのそれとない誘惑を可能にしてくれるのだ。ブルジョワの庭の馥郁と香る小径は、恋人たちの語らいにまた新たな味わいをそえる。民来のあいだでは、いってみれば雄がそのがむしゃらな生殖本能につき動かされるまま、女を組み敷くのにたいし、恋する男は、いつか訪れる悦びを思いえがいて、胸をときめかす。女はたくみにじらす術をこころえ、男はじっとその香りをかいで、恋人をしのぐよすがにする。そうすれば、欲望はたえず生き生きと、あきることなく続き、来たるべき愛撫の時は、いやましに甘美なものとなる。相手のからだの匂いの追憶は、情熱をそだて、哀借の情をはぐくむ。神経症的な収集趣味も、この追憶から生まれてくるのである。
除臭という、この大いなる夢、そしてまた、悪臭に鼻をそむけようとする新しい感受性。それらについて、嗅覚はあますところなく教えてくれる。他のどの感覚にもまして嗅覚は、どうしようもなくつきまとう糞便の話を語りきかせ、下水溝の叙事詩を、女性の神秘化を、そして植物のおりなす象徴の世界を語ってくれる。ナルシシズムが勢いをえて、人びとは私的空間に閉じこもり、作法かまわぬ気ままな暮らしぶりは失われて、雑居生活は排斥されるようになっていった。現代史上に生起したこれらの大事件をめぐって、嗅覚は、新しい解読を可能にしてくれる。
さまざまな分裂や対立のもとになってきたのは、空気・垢・糞便といったものをいったいどう考えるかという、二つの異なるとらえかたであった。そこから、欲望のリズムをいかに扱い、欲望にまつわる香りをどう扱うか、相異なる二つの管理のしかたが生じてきた。そうして結局それらの分裂、対立の落ちつくところ、それが、いま私たちの生きている、悪臭のしない、無臭の生活環境なのである。
百年の長きにわたって、人びとの嫌悪感と親近感の歴史をいろどり、浄化の歴史をいろどってきたこれらさまざまな出来事は、もろもろの社会的表象と象徴系をつくがえしてしまった。それを十分に理解しておかなければ、十九世紀の社会的葛族の根底にひそむ深みをはかり知ることもできず、ましてや、現代のエコロジーのめざす夢の位相を把握することもできないであろう。
社会史は、たしかに底辺に生きる人びとを重視してはきたけれども、情感の表現にかんしては、あまりに長いあいだ耳を傾けようとしてこなかった。だが、たとえ汚ならしいものであろうと、人びとの基本的な生命の営みについて、もはやこれ以上沈黙をしいるべきではない。ダーウィン時代の誤った人類学が分析を歪めてしまったのは事実にしても、それを口実にしてはならないのである。