近代コンサルタントと時の試練
from 巨人の肩に乗る
近代コンサルタントと時の試練
この会話面白い
https://twitter.com/andymochizuki/status/1764107733354373451
コンサル本はどのようにダメなのか、という質問への読書猿さんの回答
問題を感じる点はいろいろありますが(それら問題に対する私なりの回答が拙書『アイデア大全』であり『問題解決大全』です)
最も気になるのは「巨人の肩」に乗り損なっているところです。
それぞれの業界内では、その外にルーツを持つ知的源泉に無関心であることは、あまり問題にならないのかもしれません。
しかし知的営為として見るならば、不誠実であるだけでなく、得られるはずの恩恵をみすみす捨ててしまう所業であるように思えます。
この回答に対する質問者の反応
「巨人の肩への乗り方」をモチーフとすれば、これは私の認識ですが、コンサルは乗り先となる巨人があまりに偏っている印象もあります。より具体的には、デカルトに始まる(ある種古めかしい)近代合理主義に極端に寄りかかっていること、他方で合理的に説明しがたい創造性は向き合えてこなかった。
例えばお金教や測定しやすいものだけ改善してしまうバイアス、虚無のお金ゲームへの違和感とつながったtsuzumik.icon
時の試練に耐えられない、反生命の邪教部分が死に切っていない
幻想の義理と対立するのは当然、近代合理主義で測れない部分だから
コンサルが所謂グレイヘアコンサルタントに依拠していた時代から、産業化・大衆化していった歴史の影響も大きいように思えます。知的誠実が、ビジネス的な(ある種矮小な)プラグマティズムによって歪められた、とも言えるかもしれません。このあたりは反省が必要だと気付かされました。
これ of これ of これ of これtsuzumik.icon
グレイヘアコンサルタントをスケールさせるためのジュニア・コンサルタントであって、価値はグレイヘアが生んでいる
いくら賢くても、虚無のお金ゲームに最適化したジュニアコンサルタントにはそんなに価値ないのではないか
だから、夢の高給コンサルみたいなキラキラに騙されて、現場のナラティブなしの(見下すような)コンサルを目指すこと、そのような道があるように見せることは反生命の邪教だ
どんなに激務でも関係ない
成果が本当に出ていれば本物のコンサルタント
自分で稼げていない、空回っているのに、計測しやすい指標だけで成果が出たとするなら偽物
売り逃げ
逆に、現場側が「あれだけ高給取りならコンサルに任せれば大丈夫だろう」みたいになるのも有害
スタッフ機能
ところで、今のジュニアコンサルタントはこのビジネスモデルを信じてサイエンス・コンサルタントを目指すべきか、諦めて現場に潜り、叩き上げのグレイヘアになることを目指すべきか?
それは身銭を切れしたポジションと結果なので、正解はわからない
バーベル戦略
両方やってもいい
青天井のサイエンス・コンサルタントを目指す道
安定した現場経験者として積み上げる道
これ、中~上級者を優遇しないと関係があるのではtsuzumik.icon
現実は誰かが作ったゲームではないのでなっとるやろがい以外にない
有利だと思うポジションがあるならそれに乗ればいいだけ
自主的に背負ったハンデを増やす必要はない
現状、コンサルがうまくいかなかったとして
そもそも我々はグレイヘアコンサルタントの成果・能力を尊敬すべきであって肩書きではない
どちらも同程度に無頓着で、同程度に罪がある
自分はコンサルタント会社に採用されたのだから能力があるし偉いし高給取りの資格がある
この人はコンサルタントなのだから能力があるし偉いし任せれば上手くいく
隻手の声
ラストマンシップを成功報酬ではなく着手報酬にしたところにねじれがあるのでは
先払いの外注コンサルにラストマンシップは望めない?
ラストマンシップがないとその分価値が低いので、ビジネスとして成り立たない(べきだった)
実際には、責任を押し付ける先として需要があったのかもしれない
権限と責任
金を払って、必要な権限は与えず、失敗させる客の落ち度か
権限を要求できないコンサルの落ち度か
責任部品
これ知らずにだまされて被害者になってる人結構いそうなのが怖いな
精神病は労災か甘えか
反生命の邪教
成果報酬のコンサル、つまり執行役員を紹介・斡旋する手数料や保険料というビジネスモデルならよかったのかも
コンサル本人は一蓮托生になる
成功報酬、リスクに応じた配当
コンサル会社は紹介者に過ぎないので、成否は保障せず定額の手数料を取ればいい
知らんけど