自分のセキュリティ万全だからって
他人のセキュリティホール軽率に突くやん、というのはあるのかな
ホワイトハッカーは憎まれる
ここで、自分のセキュリティ、は実は感情にかかってるだけで合理にかかってはいないのでは
フェアでないことは、恐怖という症状を招く
恐怖を除くためにフェアにする、は違う?
フェア、が曖昧だ
まだ微妙な例え
相手を殴って、自分も殴って、どっちも痛いからフェア
自分を殴ったら相手を殴っていい、は屁理屈
相手を殴ったら殴られた、ケンカ両成敗
先に殴った方がわるいよね
(注、殴られる前にマイクロアグレッションを重ねてるケースではむしろ殴られる側に非がある、ケースバイケースすぎる)
ない方がいいもの=脆弱性をフェアにすることには意味がないと感じる
別の話として、信頼のための自己開示には効果があると思う
なるほど、二つあるのか
感情のマネジメントに真っ向から挑む心理学的アプローチ
自己開示はこっち?
感情のマネジメントを避ける利益・ルール哲学的アプローチ
tsuzumik.iconはこっちを好む
として、どういう解決がある?
その取引が求める目的を重視する
本当に必要?いらなくない?と思う
それはリスク回避なんだな
解決ではない
低減は?
信頼関係構築
言うは易く行うは難し
少なくとも、相手の立場を学ぶ機会を持つのは有益だよな
自己開示はここに効くのかも
セキュリティは悪人がいなければ不要なものだが、現実はカオスであり身銭原則によって必要
セキュリティと利便性のトレードオフ
そこに対してみなバランス取って投資してる
外れ値があると、バランスが変わる
投資の修正が必要になる
他者改変欲求はキモいにより反感を買う
外れ値から得る利益がコストを下回る場合、単に事前のフィルターによって為そうとするかも
これが嫌われや村八分になる
セキュリティホールを突くなという倫理
鍵空いてるってことは入っていいよね?何も盗むわけじゃないし、という理屈になりかねない?
パーソナルスペースとパブリックスペースの境界は何か
鍵無しにどうやって区別すればいいのだろう
tsuzumik.iconは長らくリスク回避傾向が強すぎて永遠にROMっていたためバランス感覚が弱いかもしれない
どこかの村に属していたところで、その村のローカルルールに過学習していただけなのでは
バランス感覚と人間力、一般応用可能な品格とは
それは具体例を複数体験して見いだすものでは
始めはどこかのローカルルールを学ぶところから始まる
あいさつはメンテナンスから始まりそう