五十二段
仁和寺にんなじにある法師、年寄るまで、石清水を拝まざりければ、心うく覚えて、ある時思ひ立ちて、たゞひとり、徒歩かちよりまうでけり。極樂寺・高良などを拝みて、かばかりと心得て帰りにけり。さて、かたへの人にあひて、「年比としごろ思ひつること、果たし侍はべりぬ。聞きしにも過ぎて、尊くこそおはしけれ。そも、参りたる人ごとに山へ登りしは、何事かありけん、ゆかしかりしかど、神へ参るこそ本意なれと思ひて、山までは見ず」と言ひける。
すこしのことにも、先達はあらまほしき事なり。
これは有名なもの
かちよりまうでけり 先達はあらまほしき事なり はよく知られている言い回しだと思う
N34.8822294,E135.7004108,Z16 石清水八幡宮 >> N34.8826782,E135.7015454,Z19 石清水八幡宮
松下電器の社員はいつも岩清水八幡宮にお参りするのだっけ
役員だけ?
仁和寺からは15Kmぐらい?
「仁和寺にある法師」は、どうして長年石清水に詣でたいとおもっていたのだろう?issac.icon
由緒ある場所だから?
周囲で人気だったから? 増井俊之.icon
人気って時代で変わるし?
すくなくとも、この法師の近くには訪れた人はいなかったんですよね
先達はあらまほしき事なり
それはどうかな? 細かいこと(?)を言ってなかっただけとか 増井俊之.icon
なるほど。コミュニケーションの不全が起こってたのかもですねissac.icon
兼好は仁和寺の法師だけでなくて、仁和寺全体の批判をしている?
なんかいろいろdisりすぎですよね 増井俊之.icon
お坊さんがどうして神様を祀る八幡宮に行きたがるんだろう?と思ってましたissac.icon
ミーハーなんてことはないでしょうし
神仏習合?
あー、当時はどういう感覚だったんだしょうねー 増井俊之.icon
でも東大寺の中にも手向山八幡宮という神社はあるし、似たようなものと思ってたとか?
岩清水八幡宮の中にも極楽寺てのがあったみたいだし
岩清水八幡宮と神仏分離
現代の日本人が寺も神社も似たようなものと考えているように、当時も似たようなものと考えられてたのでわ 増井俊之.icon
初詣だって寺に行ったり神社に行ったりするし
そもそも仁和寺て固有名詞出す必要あったの? 増井俊之.icon